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いにしえより我が国ではとくに姿の美しいもの、香りの良い花、珍しい花は総じて“蘭”と呼んだ。君子蘭、スズランなどは植物学的にはラン科植物ではないが、「◯◯蘭」と呼んだいい例である。
鉢植えの展示もあるが、実際の自生地に近い条件で育てられ、花を咲かせている様子はまるで本当にミャンマーやタイの山奥へでもやってきたような気がする。(もちろん筆者は行ったことはないが。)あなたは鉢植えでないランの花が、いかに濃い香りなのかをご存じだろうか?
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桜も紅葉も見事である。
春に花で魅せてくれた桜そのものも、秋に黄色く黄葉した姿は、紅葉と好コントラストを成してすばらしい。
場所が広いせいもあって、園内には穴場的要素も高い。これまたありがたいことに、自分の住む土地にある植物園と大差ないと思うのか、観光客はわざわざ植物園にまでは足を運ばないものらしく、桜の季節も紅葉の季節も、客が多かったとしても、世界的観光地独特の雑踏の雑音がないのが何よりもありがたい。
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北側には北山通りが東西に走り、お洒落なお店がずっと続いているし、正門のある南側には京都府立大学のグラウンドに沿って賀茂川に挟まれるようにして北大路橋までずっと並木道が続く。府立大学のグラウンドではラグビーの練習だろうか、野太くてイキのいい声が連日響いてはいるが、おちついた静かな雰囲気はさすが北山である。
昭和36年生まれの筆者は幼い頃をフォークソングブームの中で過ごしたせいか、この辺り一帯を歩くとしぜんと『風』(はしだのりひことシューベルツ)や『北山杉』(うめまつり)といった曲をくちずさんでしまう。
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植物園を含むこのあたりは、移転前の同志社大学があったせいもあるだろうが、大学生活の経験のない筆者でも、キャンパスライフとはこういう雰囲気なんだろうか、などと、なんともいえないノスタルジックな雰囲気も味合わせてくれる。
最盛期でもわりと静かな園内は、恥を知らない露出狂的なカップルは別として、静けさを好み、第三者に邪魔されたくないつつましき恋人たちにはもってこいである。しゃれたベンチもあるので、良識ある恋人達のささやかな語らいが似合うだろう。
そうそう、京都のあまたあるお寺と同じで、ここ京都植物園も16時には入場できなくなるので注意が必要。
なんといっても広いので、時間だから園を出ろ、といわれてあわてて出口へ走るのでは、せっかく落ちついた気分もぶちこわしになる。
閉園時間が近いときは、ある程度出口近くへ移動していることが望ましい。
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