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 もしかしたら京都の人でも、名前は勿論のこと、こんな『坂』自体があることはあまりご存知ないのではないか。
 筆者も何年か前、偶然に見つけたのである。

 京都で坂と言えば、やはり二年坂・産寧坂と五条坂・茶碗坂を連想する。広くも長くもないが、これらほど日本全国でよく知られた坂もないだろう。

 実はこの『あさひ坂』、その産寧坂に続く清水坂と、隣の五条茶碗坂を繋ぐバイパスとなる位置関係にあるのだ。
 せいぜい人がかろうじて行き違うことのできる程度の幅の石段だが、それに沿って数件の建物がしつらえてあり、そのために実に立体的で楽しい空間となっている。
 上の写真はその坂の上側の入り口となるクラフト系の店先である。

 そして左の写真は、その下の入り口。

 場所としては、五條の“茶碗坂”の、いわば横道のような位置関係で、目印の看板こそ掲げてあるが、車の往来が多く歩道は狭いので、車に気をとられているとうっかり通りすぎてしまう。


 もしかしたらもともとは、今この坂のまわりにある店の裏口をむすぶ“勝手口”というか、本来なら関係者以外立入禁止だったような路地のひとつだったのではないか、と勝手に想像している。

 ここを見つけたのは2007年の11月23日。その時の印象では、建物はもちろんだが、とにかく石段とそれを埋めるコンクリートが真新しく、どうやらその年に開かれたばかりだろうと思えた。

 その日も例によって人の行かないような道を探しながら、最終的には山の側から清水寺にたどり着いたのだが、そのまま一般コースに戻ろうとすればどうしても“シーズン真っ盛りの”三年坂を訪れねばならない羽目になってしまった。
 行ってみるとやはり想像以上の混雑だった。
 まさかそこまでは、となめてかかったのが大間違いで、あまりの人の多さにおしあいへしあい、ついには坂の途中で人と人が完全に詰まってしまうというヒドい状態になってしまった。
 身じろぎする程度に少しづつ位置こそはずれてはいくが、とても移動しているとは言えず、買い物をするどころではない。

 それどころか、清水坂から分岐する三年坂へ至る間でその有様である。二年坂からねねの道に至るまで何年かかることか?

 そのままほんの少しずつしか進むも引くもならず、嘘みたいだがまるで八坂さんの大晦日のような状態に陥ったのだった。
 それどころか、坂道で足もともおぼつかないとなるとこれは危険である。

 これではとうてい、埒(らち)があかんな、と思った時、ふと左手に小径を見つけた。そして見透かすと、その向こうには土産物屋らしき店に客の姿も見かける。だが、自分以外はなぜか誰も気にも留めない。
 一見、行き止りに見えるので行っても仕方ないと思うのか、不思議な事に狭い清水坂にひしめく人達は誰ひとりとしてそちらへ避難しようともしない。

 相変わらずどの人も「どないなってんねん」「なんで動かへんの」「ああ、しんど」と大阪弁やら他の土地の言葉が異口同音に悪態をつきながら、ノシノシと坂の上か下かを目指してのみ、動こうとする。

 もとより筆者はこういうのが一番ダメなので、さっさと横に逸れて小径へ逃れた。行き止まりでも、しばらく時間を潰せば、やがては多少なりとも人の往来も減るかもしれない。


 しかも小径は一直線ではなく右へ左へ多少の動きがあり、ブロックごとに店と思しき小ぶりな建物の屋根がある。

 面白い。しかもそれなりに風情を感じさせる。
 とはいえ、足を踏み出すと、全体に庭園風の良い雰囲気だが、植栽や建物の屋根瓦は新しく、足もとも手直しの為にあちこち整備した跡が感じられる。適度に石を埋め込んだ階段は狭すぎず、広すぎず。小綺麗なのだ。

 ───さきにも書いたが、昔からあったには違いないのだろうが、おそらくそれまでは産寧坂か清水坂に店を出している人達のお勝手口を結ぶ“裏の抜け道”だったのではないか。
 そこを整備し、建物を手直ししたり新たに設けたりしてこのヒナ壇状のちょっとした立体的な横町を造ったとしか思えない。通れるのなら今までに気付かないはずがないからだ。

 喫茶店も入れてその数、7軒。

 石段からは東山も見え隠れし、傾いた陽射しが建物に絶妙の陰陽を造り出す。

 そんななかに、ギャラリー扱いになっていて、期限を決めていろいろな作家さんが出店しているらしき一軒をのぞいた。
 この時に出店されていたのは、土ものをこしらえておられる作家さんらしい。筆者の好物である。

 いざ、逃れてみて心からホッとした。その時の光景が一番上のタイトルにした写真なのだが、この路地、奥へ進むとなるほど、筆者好みの良い感じのクラフト系のお店だと分かった。
 現金なもので、今までの苦しさも綺麗に忘れてしまった。

 ふと振り返ると、今くぐった門を額縁にして、幾人もの動かない人の身体でその額縁いっぱいに埋まっていた。しばらく観ていても、まるで静止画像のように全く動かなかったのが忘れられない。
 今まで自分もあそこにいたのか、でも移動しようと考えたら、いずれは戻らねばならないのか???…と思うとゾッとしたが、とりあえず今は息を抜くことにした。

 店内は中庭のあるL字型で、見ると中庭で喫茶もやってるようだ。しかも庭の向こうはストンと抜けて、東山の風景が霞んでいる。
 おもしろい。こういうヒネリのある立地に出くわすと筆者はカメラ小僧ダマシイに火が付く。

 さっそく好奇心に任せてうろうろと中庭のはずれまで行く。するとどうだろう。
 遠目には崖でその先は無いのかと思っていたのが、小さな石段が小径の続きとなって下に伸び、茶わん坂に続くという旨が小さな立札に記されているではないか。

 なんたる幸運!!


 筆者は土いじりをする関係からか、安物の植木鉢のような素焼きが昔から好きである。食器でもどうも釉薬(うわぐすり)のかかった瀬戸物は苦手で、洋食器はなんとも思わないのに、ことに白磁に藍色のものや九谷のような地味なのか派手なのか分からない意匠はどうも好きになれない。
 反対に、備前焼のような土の持ち味が生きているものを好むので、信楽だの清水でも、釉薬がかかっていないものなら産地などおかまいなしに目が行く。

 といってももちろん、骨董や焼き物が解るわけはない。

 パッと見て好きかどうかだけで、また予算の都合で許される時だけ求める。

 幸か不幸か、この頃にちょうど以前から欲しかった、壁にちょいと掛ける小さな土の花生けと出逢ってしまった。
 見た目も愛嬌があるだけでなく、土ものが大好きな自分は、触った時の感触で“手から惚れる”こともある。

 そんなわけで、上の写真の一番左の一輪挿しが、今も玄関の壁に掛かっている。土の肌としては、備前焼にちかい。たしか、作者の方が説明してくださったはずだが、きれいに失念してしまった。申し訳ないが愛用しているから許してくださるであろう。


 店を出ると、こんな素敵な植木が飾ってあった。馬の鐙(あぶみ)をデザイン化したものを鎖で軒先から吊してある。上にはろくろで廻したらしき、これまた備前風の焼き物だが、黒い地肌にガーデンシクラメンの燃えるようなマゼンタ色が実に映えている。
 さらに赤い実───ウメモドキだろうか。そして緑の小枝はどうやらサツキらしい。花の季節は春だが、こうして緑の絵だものとして飾るのも手だなあ、と感心した記憶がある。

 左の写真は階段を数段上がったところから同じものを映した。
 “つくばい”に泳ぐミニ錦鯉だか金魚だか…は、この写真では本物かと見えるけれども、立派な瀬戸物の作り物だ。
 そしてその上には、右のアップになっている植木。角度が違ってもちゃんとバランスの取れた生け方はさすがだ。

 店が階段の途中にあるので、階段を上り下りしていくとこの花も自然といろんな角度から見られるという趣向だ。
 ただし、目を奪われていると足もとがあぶないのが難点といえよう。

 生花の鑑賞法にもいろいろあるだろうが、こうしていろんな角度から3D的に愉しめるというのはなかなかの贅沢であると同時に、かなり新鮮で斬新な手法なので、なにかの時にはぜひ試してみたい。

 さらに降りて行くと、石段から石を埋め込んだ階段からコンクリートへ、そして石段へ、といろんなテイストに変化する。店はどれも立地の関係から基本的に陶器関係のようだが、それぞれ店の個性があるようだ。
 なんとも不思議なつくりの横町であるが、何故かそれが面白さを増幅している気がする。

 あらためてこの写真だけを見ると、なるほど、どっかの少し大きな屋敷の玄関へ通じているような風景でもある。
 確信は持てないが、やはり成り立ちは筆者のにらんだ通りではないだろうか?

 人というのは基本的に自分の身長よりも下ばかり見ている。
 四つん這いだった獣の姿から遠く進化したとはいえ、空からよりは地上からやってくる敵の方がはるかに多かったからかも知れない。───それはともかく、なにせ見上げる、という行為はなにか異音がするとか、探す目当てのものが意識的に目線より上にあると脳が知っている場合でないと、まずやらないのではないか。

 そういう意味でも、このアングルはいわば“異常なものの見方”をする筆者ならではの“気づき”であると自負する。
 自慢になるが、この『京都おちこちぶらぶらよそ見旅』の為に写真を撮っていると、面白いほどにカメラを提げた年配の方が筆者の後ろから(このひと、何を一所懸命に撮ってるんやろか)と見ようとするのである。
 よほど筆者の目線の持って行き方はユニークであるらしい。

 そして清水坂へと降り立つ。

 もちろん人通りは少なくはないが、さっきまでの超ラッシュ状態の清水〜三年坂からウソみたいに“ふつうの”人の量だ。

 さきの法則?のせいであろう。そもそも坂道を登る時、やはり人は足もとしか見ていない。
 たまに見上げるのは、坂の残りがどれくらいか確認するためである。だからこの『あさひ坂』から人が降りてくるのに気付いた人は、一瞬だがギョッとする。自分が思いもしない所からいきなり人が現れるのである。
 この体験もなかなか楽しいものがあるから、ぜひこれを読まれて試してみようという方は、上の清水坂から下の五条茶碗坂へ抜けるコースを試されては如何か。
 もちろん反対に、忍者ヨロシクいきなりあさひ坂の下の入り口から姿を消すのも面白い。ただし観光シーズンだった場合、上は人、人、人のラッシュであることは覚悟した方が良いだろう。

 清水坂〜茶碗坂。
 さすがに目をつむっていては転げ落ちるが、無意識に歩いていても自然と目的の所へ行けるほどに慣れ親しんだふたつの坂道をむすぶ、急で身近な『あさひ坂』は知っておいて損はない。


 まるで行ったことのない街にフト紛れ込んだような、そんな気分にさせてくれる素敵な坂をみつけた。感謝だ。

 最後に、あさひ坂の紹介看板を載せておく。参考にされたい。


▼あさひ坂周辺の地図はこちらから▼