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 ごく普通の民家の間にまっすぐ伸びたスマートで長い石段をのぼってゆくと、竜宮城の入り口のようなデザインの赤い山門が現れる。
 左右から大きく育った樹が隠すように繁っているためと、石段を踏み外すまいと足もとばかり見がちなために、ずいぶん派手な門でありながら、かなり近くに行くまでそうとは気付かない。

 山門をくぐると庭が開ける。
 寺の庭というよりは、少し大きめの庭を持つ一般の家を思わせるような、親しみを覚える“自然な”造りの庭だ。

 寺の庭となると、どうしてもどこか形式張っている。
 禅宗の寺であれば尚更で、庭づくりも樹々の手入れもすべてが修行の一部だからだ。
 逆に言えば、一木一草一石に至るまで“意味付け”をせずにはいられないという理屈っぽい難儀な性質でもある。

 徳の高い坊さんなら「いや、難しい事は考えんでも、単純に愉しめばエエんですわ」と仰るが、そうでない坊さんや研究者(マニアともいう)は、獲物となる客を見つけるとここぞと解説や講釈を垂れるから油断ならない。

 京都の社寺にはそんな“庭園”が多いが、ここのはまるでアマチュアのガーデナーが、気に入った山草と樹々だけを集めてきて、手入れはするものの、上手く根付き育った種類ばかりで気の向くままに作り上げたような柔らかさがある。


 入り口の高札には“黄檗宗(おうばくしゅう)”とあった。

 なるほど、本堂にはその総本山の宇治・萬福寺と同じ『卍くずし』の意匠を用いた欄干と扉。ある意味、モダンデザインだ。
 多分、そっちへ行けば何か見せていただけるのだろうが、目的は羅漢さんであり、訪れたのも閉門の四時に近い時間だったので写真はこれのみ。
 撮影は10月なので、境内の庭にはホトトギスとコスモスがいっぱい咲いていた。

 立て札に従って右へ進むと、名物・五百羅漢の並ぶ参道へと続く。
 途中、脇にはその庭園の生みの親、伊藤若冲(じゃくちゅう)の墓がある。失礼して、手を合わせて心でおことわりをした上で写真を撮らせていただいた。

 どうも墓石をカメラに納めるのはいろいろと抵抗があるが、この場合は墓石というよりも、若冲居士がそこに居て、訪れる客がどんな連中なのか、ニヤニヤと観察してるようにも思える。

 さらに進むと、山門と同じ意匠の門が現れる。赤い、と書いたが、改めてじっくり眺めると、家電や工業品などの身の廻りにはありそうでない赤色である。赤、朱、紅のいずれでもない。消去法で行くと『丹(に)』という事になるのか。
 この門をくぐって昇ってゆくと、いよいよ羅漢さんたちに逢える。

 さて、おなじみWikipediaによると、羅漢とは阿羅漢、つまり『仏教において、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のこと。サンスクリット語"arhat"の主格 "arhan" の音写語。略称して羅漢(らかん)ともいう。漢訳は応供(おうぐ)である。もとは釈迦の尊称の一つであった。』───だそうだ。

 分かるような解らんような説明だが、ジェット・リーがまだハリウッドに進出する前で、リー・リン・チェイと名乗っていた頃の香港映画に『阿羅漢(あらはん)』という映画がある。
 あれにはそんな意味があったのかと、今頃知ったものの、武術も人格的にも半人前の若い見習い坊主たちが、寺の存続のために悪代官だかに敢然と挑む迫真のカンフー映画であった…という事以外印象はない。

 しかし筆者のイメージとしてはやはり『お釈迦様のお弟子さんたち』である。
 実際、いわゆる『五百羅漢』とは『仏陀に常に付き添った500人の弟子、または仏滅後の結集(けつじゅう、仏典編集)に集まった弟子を「五百羅漢」と称して尊敬することも盛んにおこなわれてきた。』とあったから、あながち間違っていないわけだ。

 この石峰寺の五百羅漢はまさにこれで、竹林をベースにした立体的な庭園にしつらえられた数々の石のシーナリー・オブジェをぐるっと順番に巡る事で、お釈迦様の誕生から入滅までの物語を視覚的に体験することができるのである。
 そういう意味では、お釈迦様の生涯を知っておいた方がより愉しめる?というとバチが当たるかもしれないが、理解できることには間違いないであろう。

 そんな意図などは別として、実際には落ち葉で埋もれるような寂びた雰囲気の地面から、生えるように羅漢さんたちの石像がある風情がなんとも微笑ましい。

 並ぶというより、それぞれに表情やポーズがあるように、立ち位置にも個々なりの主張があるらしく、あるものは寄り添い、あるものは対峙し、あるものは肩を並べている。

 中には独り佇んで何をか沈思黙考しているような羅漢さんも居る。

 まるで秋深しといった風情だが、これは10月半ばでの撮影。落ちているのはみな竹の落ち葉である。
 この庭園は98%が竹。もちろん常緑なので秋だからといって変化はない。
 なので反対に言えば年がら年中、このたたずまいなのである。

 しかし竹であるから、時々悪戯をする。タケノコが生えるのだ。
 ご存知と思うが、タケノコの萌芽力はパワフルで、少々の岩くらいならどかしてしまう事がある。
 よくよく観察してみると、まれに下からタケノコに押し上げられて転けたり位置のズレた経験のある羅漢さんもおられる事に気づく。

 もちろん管理者の手によってさっさと切り取られて羅漢さんは元通りに戻されるのだが、タケノコの段階で切り取ったらしき痕が残ってたり、他のところに生えたものの、これまたパワフルな根によって持ち上がったり。

 ところで当初、筆者はこれだけの羅漢像を伊藤若冲がコツコツひとりでこしらえたのか、それはスゴい、これはいつか見たいな…と思っていたのだが、実はいわゆるデザイン&プロデュースが伊藤若冲であって、いわゆるスケッチを石工に渡してこれらを作らせた、という事らしい。

 長い時を経て苔むし風化もしている為に“寂び”が出ているが、よく見るとかなりユニークなコミックタッチで、ひと筆描きのような独特のデフォルメがなされている。
 いや、むしろキャラクターとしてデザイン化されていて、とても江戸時代の作とは思えないくらいモダンである。
 おそらくは紙に描かれた元の絵がそういう殴り描き的なタッチだったものを石工が見事に3D化した、という事なのだろう。

 今の漫画アニメ系絵師とフィギュア原型師みたいなものか。

 それでもそういう意図でひとつの庭園をしてテーマパーク化してしまうなど、やはり伊藤若冲という人はちと風変わりな人だったようである。

 錦市場の老舗八百屋の跡取りでありながら、身代を弟に譲って隠居し、絵描きになったという。
 まことに羨ましい限りの人生だが、ある意味、本物になりうる芸術家は金持ちか赤貧か、いずれにせよ金銭・生活概念的に感覚が麻痺してないとなれないもののようだ。

 ちなみに、ここはいわゆる“有名どころ”である。
 おそらく平日でも頃合いの良い時間なら狭い境内に似合わないほど大勢の観光客がやって来ている筈だ。

 それが休日にもかかわらず、これほど空いていて、ゆったりした気分で観られたのは、ひとえに閉門ギリギリを狙ったからに他ならない。
 このような所で、前にヒト、後ろにもヒトでえっちらおっちら行進していたのではトテモじゃないが羅漢さんと対話などできない。
 平日に休めない方はこの方法をオススメする。

 少々、閉門(閉山、が正しいのか?)の時間を超えたが急かされることもなく、筆者が山門を下るのを待って、ご住職はゆっくりと門を閉じられた。

 京都の夜は訪れが早い。しかしまだ僅か四時。
 繁華街へと向かって店巡りで散策など、もうひと遊びするにも良い時間である。いざ、繰り出さん。

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