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けあげいんくらいん
 京都は1200年を越える古都であると同時に、日本で最初、というのをたくさん持っているハイカラの街でもある。そのひとつが日本初の電車であるチンチン電車、つまり路面電車である。残念ながらもう20年以上も前に廃止されてしまったが、そのチンチン電車を走らせるためにこれまた日本で最初の水力発電所が建設されたのも京都である。
 これは今も残っている。いや、残っているどころか、この古式ゆかしいレンガ造りの発電所は今もささやかながらではあるがちゃんと機能しているのであるから驚く。

 さてこの発電所を動かしている水はというと、京の屋根である比叡山をはるかに越える琵琶湖から比叡山をぶち抜いてはるばると曵いてきた運河に流れる水を使う。この運河こそが『琵琶湖疎水』であり、明治の昔に当時の貧弱な土木技術を気力でおぎないつつ、信じられないような多くの人の多大な労力と、稀代の才能を持ったひとりの若者の努力によって、京都市民のエネルギー源であり運河であり、上水道として生まれたものだ。

 水が減ると反対した滋賀県、洪水が起こると言った大阪府の反対を押し切り、さまざまな期待をうけて着工した琵琶湖疎水ではあったが、やはり名所旧跡ばかりの京都にあって大土木工事はさまざまなあつれきを生む。

 そんなこんなの理由から、あっちこっちと迂回せざるを得なかったルートと、盆地という地理的な事情から発生した落差36mで途切れてしまった運河を結び、活かすための苦肉の策として誕生したのが、ケーブルカーの要領で荷物や客を船ごと台車に乗せて547mの距離を上げ下ろしするという方法だった。

 これがインクラインである。(オランダだかドイツだかの運河では現在もこれと同じ方法を採っている場所がある)
 当時は舟が山を上り下りする光景見たさに弁当持参で見物に来る客が引きを切らなかったという。しかし運河水運業の衰退から今ではレールと途中でうちすてられたままの船台が残るのみ。
 とはいえ、桜の季節はご覧のような素晴らしい景観になって、いわゆる市民の憩いの場…というか、午後を回る頃にはあちこちで宴会すら始まるようなジモティ御用達の桜の名所でもある。
 だからここの桜を散策しつつ愛でたいと思ったら、午前中に訪れるのがコツだ。蹴上からスタートして、水をたどりながら南禅寺〜哲学の道へとたどるのも楽しい。

 97年秋まではインクラインに並行して京阪電車京津線が走っていたのだが、地下鉄東西線の開通と共に相互乗り入れして、風情ある連結式の路面電車は引退し、線路は新型車両と共に地下へともぐってしまった。

 明治の当時、新政府に天皇を連れ去られ東京にその首都機能を奪われて衰退するしかない運命を背負わされた京都において、いかに京都の美しい風景を壊すことなく、新時代に遅れないだけの産業を興すかにその生命をささげた人達の苦労は、南禅寺境内の隅に造られた水路閣と呼ばれる水道橋や、インクライン下をくぐる煉瓦のトンネルアーチ、あえて坂の下に隠れるようにひっそりと建てられた発電所などにその細やかな心配りを観ることができる。

 今では名物となったこれら明治の建造物も当時はあでやかな赤煉瓦だったからか、目障りだとさんざんコキおろされたそうである。もしクソミソに文句をたれた彼らが今現在の風情ある風景を観たならば、きっと納得してくれたと思うが。

 ───もっとも、清水の境内からでさえも“ついたて”のように見える巨大な駅ビルが、百年建った後に京都らしい風情を醸すのか、という問いには残念ながら同意しかねる。
 アレをこしらえようと画策した人々は、琵琶湖疎水を造った明治の男たちほど、熱血漢でありながらもデリカシーのある繊細な神経の持ち主たちだとは到底、思えないからだ。

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