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てつがくのみち

 “京のマイナーな良い処”を紹介するのが主旨ではあるが、超メジャーでシーズンには滅茶苦茶な人混みになるところでも、方法を変えれば嘘のようにひらりとかわして悠々と楽しめる場合もある。今回ご紹介するのがまさにそれである。

 筆者が学生の頃、哲学の道はたしかに桜や紅葉のシーズンには多少は観光客でにぎわったが、それでもオフシーズンなら本当に閑かでおちついたフツーの住宅地であった。しかし今や神戸北野の異人館通りのごとく、年中観光客でにぎわう場所になってしまった。これでは哲学どころか今夜の献立すら考えることはできまい。
 これが筆者の家に30年ほど前からある保育社の“カラーブックス”に紹介されている記事によれば、そのころでさえ「昔に比べてずいぶん風情がなくなった」と嘆きの文章が書かれている。

 つまり40年以上も前の哲学の道は、植え込みはおろか舗装すらないただの“歩道”で、哲学の道という名も今の原型のようなスタイルになったときに誰呼ぶとなくついたものだという。

 だからこの写真にあるような石碑も、往時をご存じの方にすればそれだけでもムードぶちこわしの“観光観光”した無粋なものということである。
 しかし小ぎれいになったことが悪いことばかりとも言えない。というのは、水路の上にはたくさんの橋が架かっているが、そういう場所はえてして小さなイベントスペースを提供してくれることがある。

 筆者が行ったときもそうだったが、ある橋のそばではとある大学のクラシック同好会がモーツァルトなんぞを演奏し、写真のように欧米人の青年が桜の下でハープなんぞを奏でていたりするのだ。
 一瞬ここが京都だということを忘れてしまう光景である。

 哲学の道を訪れた人は、水路をはさんで並行に道が延びていることをご記憶だろう。この水路はじつは琵琶湖疎水だということをご存じない方も多い。
 桜の季節には水路に花びらがはらはらと散り染めてそれは風情のあるものなのだが、くちぐちに「綺麗ねえ」と感心し、ポーズを取ってはやたらと使い捨てカメラを連写しまくってはいるものの、後ろからやってくる人並みに押されてか、ゆっくりと桜そのものを愛でる人は少ない。
 
それでも上に下に右に左にと観るべき桜は多いのに、なぜか観光客は歩くことにのみ専念しているように見える。

 しかしふとみると、奇妙なことに水路を挟んだ反対側の道はどういうわけか誰ひとりと言っていいくらい通る人がいないのだ。もちろん天下の往来である。この道を行かないのはもったいない。

 おそらく他のヒトも気がついていないわけはないが、あまりにも誰ひとりとしてそちらを歩く人がいないので農耕民族の悲しさか、「きっとあっち側は通ってはいけない理由があるのだろう」と勝手に決めつけているのではなかろうか。
 あいにくと筆者はあまのじゃくのため、他人と同じ事をしていると自分がイヤになる性格なので、こういう場合ではトクをする。
 だから筆者はというと、そんな列となってぞろぞろと行進する観光客を仙人的気分でマンウォッチングし、彼らとは逆にじっくりと桜をながめ、ペットボトルに忍ばせた日本酒にノドを鳴らしつつ幸福感に身を包みながら悠々とそぞろに歩いて行くのだ。
 で、筆者のお薦めは水路の水の流れに沿って歩くこと。従って南禅寺を過ぎ永観堂から北東へ上がって哲学の道へ入り、さっさと東側の道へうつってあとはの〜んびりと哲学の道を北上するとよろしい。

 幸運にもこのページをごらんになった諸氏、もしも桜の季節に哲学の道を悠々と楽しみたいなら非一般的(非常識的、ではないのでそこんとこは大人の対応をされたい)な行動をされるとよい。マイナーを愛する諸氏だからこそこんな情報も手に入ったのだ。マイナー万歳、である。

 ソメイヨシノ、山桜などさまざまに堪能し子供のように桜の花びらをおいつつ、やがて銀閣寺道までたどりつく頃には、水の流れが緩やかになるにつれて桜の花びらが集まり、ピンクの絨毯になっているのが見られるだろう。

 今出川通(いまでがわどうり)とぶつかり、交番があるあたりになるとゴミ取りのための簡単な堰(せき)があるために、そこでの水面は、流れてきて圧縮され、ピンクの花びら絨毯はシワができているほど一杯になっているのだ。


 以下は、残念ながら今はもう営んでおられないお店『一銭亭』に関しての記述である。
 筆者はこの店が大好きだったので、当時をご存じの方と想い出を共有するためにも、あえて削除せずに残しておくことにした。もしもどこかでまた再開されておられるという情報があれば、ぜひ筆者までご連絡を願いたい。

 ちょうどそのピンクの花びら絨毯のあたりに『一銭亭』という、一種のお好み焼きの店がある。
 関西ではその昔(戦前戦後の頃)洋食または一銭洋食と称してメリケン粉に簡単な具を入れて焼き、焼きたてを新聞紙にくるんで売っていたそうだ。昔のはその新聞紙にくっついてしまい、なかなか取れなくて難儀したものだ…と、昭和七年生まれ、灘出身の母親から聞いた。
 考えてみればイマドキのクレープなんかと売り方的には似たようなものなのだが、はたして京都での一銭洋食がチープな食べ物だったかどうかは不明である。なぜならこの店が看板としている一銭洋食はかなりハイカラだからだ。
 また、同じコナモン王国の近畿圏であっても、京都はたこ焼ひとつをとってもひと味違う。
 京都のたこ焼にはタネにキャベツのみじん切りが入っていて味をマイルドにしていることは大阪人でも知らない人が多い。

 2004年暮れにようやく店内写真を撮ることができた。
 一階を奥から外向きに撮った。携帯のカメラで撮影しているので画角がせまく判りにくくて申し訳ないが、4人席のテーブルの他に筆者が座っている変形テーブルと、背中だけ写っているおっちゃんが座っているふたり掛けテーブルがある。
 たまたまこの日は空いていたが、混んでいるときは左奥のキッチンで数人のスタッフが忙しく立ち働いておられる。

 なお、二階席もあるのでパッと覗いて満席っぽくても二階に空席がある場合もあるのでくじけずにお店の人に訊いてみること。

 メニューには、昔のまんま桜えび、花かつおの素朴な味と銘打った『オールド』、玉子、牛肉、ちくわをプラスした『デラックス』、ワサビの利いたしょうゆ味の『むらさき』、激辛カレー味の『エスニック』がある。
 下の写真は『デラックス』。お箸でザクザクと切ったので美しく写ってないが、アツアツの中味には九条ネギなどの具がたっぷり詰まっている。上には甘口のソースがかかっているが、イマドキの粉もののようにベトベトにはかかっていず、素材の味がちゃんと活かされているのが嬉しい。
 また、筆者はコレが目当てなので食べたことはないのだが、甘党メニューとして白玉あんみつや抹茶ぜんざい、いちごあんみつやさくらあんみつ、なんてのもある。シーズンに店が女の子であふれかえるのはこのせいらしいが…

 それはともかく、この店ではありがたいことにビールと一緒に食すこともできる。テイクアウトもできる。また、実際に美味い。そぞろ歩きに疲れたら寄ってみるのもいいだろう。