筆者が2001年当時に書いた最初の記事には、『毎年お盆の頃になると、必ずといっていいほど近畿ローカルニュースのバラエティコーナーでは、嵯峨野の北はずれにある“化野(あだしの)念仏寺”で、無数に並ぶ小さな石仏にロウソクを灯す幽玄な風景が紹介される。だが、さらに清滝方面まで足を伸ばして登っていったところにある、愛宕念仏寺を知るヒトは少ない』と記している。
さらに、『この写真を撮っていたときのこと、突然若い茶髪のカップルが筆者に「けのねんぶつじはドコですか」と関東訛りで訊ねられて、一瞬なんのことか判らずにしばらく考え込んだ。
「けの?けの…?…ああ、化野(あだしの)のことですね!」と切り返した筆者に今度はカップルの二人がキョトン。「けの、と書いて“あだしの”と読むんですよ」と説いても、どこか納得できない、という顔だったのが印象深かった。』とある。実際、その頃は徒歩の客は化野までで引き返し、クルマを持つ人はさっさと三尾(高雄、槙尾、栂尾)の方へ走り去るというパターンが多かったように思う。
だからそこで一般客に会う事自体が驚いた。敷地の奥には管理される住職などが住まっておられるにしても、よもや拝観を許可している寺だとは考えもしなかった。
今ならネットを通じてウィキなりで由来やイベントさえも調べられるが、当時『愛宕念仏寺』を検索したところでヒットするのはこの『ぶら旅』の該当ページしかなく、「役にたたん」と苦笑した覚えがある。
しかし今ではうってかわって、ずいぶんメジャーになったということだろう。訪れたのは山門を閉ざす16時も寸前だったにもかかわらず、筆者の他にも数組の観光客が居たのである。
それにしても記憶にある寺とは別物としか思えないほどに立派な寺になっていた。山門前の道も微妙に立体化していて、地図で確認していなかったらこの場所だとは気づかずに通り過ぎていただろう。
見違えるとはまさにこの事で、13年前も母と同行していたのだが、寺名を見たうえで山門をくぐり拝観料を払った時点でさえ、その母も「こんなとこ知らん。これは違うお寺やで」と断言したほどである。
それこそ今ネットで調べてみると様々な情報がヒットし、そのいくつかには「1991年に1200体の羅漢さんが揃ったことで大々的に法要が営まれた」とある。これも驚きだった。筆者が訪れた1996年頃はすでに良い感じにひなびて落ち着いた良い雰囲気の山寺…という印象だったからだ。
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