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よるのとくべつはいかん
 場合によっては京都も通勤圏に入ってしまう近畿の人間にとって“京都のお泊まり”はもしかしたら究極の贅沢のひとつだと思う。
 しかしそれは“ぶら旅”的京都散歩術からすると、ホテルや旅館でボケッと昼間の疲れを癒すという意味ではない。夜の京都へ繰り出せ、という意味である。

 だからもちろん近畿以外の地方から来られた人は、絶対に宿泊先でボケッとテレビを見ていたり、いわんや卓球やゲーセンなどで時間をつぶすなどは京都を楽しむという意味では言語道断である。(無駄にしているという意味では逆に贅沢の極みだが)

 その理由として、京都のジモティはともかく、観光客はもちろん、近畿地方の京都ファンでさえあまり京都の夜を知らないはずだからである。

 …というのも、京都観光の主力商品は寺社であり、それらは16時には門を閉ざすので四条通りや河原町などの繁華街で食事をしたり飲んだりしない、いわゆる年寄りや子供など一般の観光客は日暮れを境に帰途につくほうが多いからだ。事実、京阪電車も阪急電車も17〜18時頃はまるで都会の帰宅ラッシュと変わらないほど混み合う。
 しかも春秋の観光シーズンでなくてもそうなのだから、ピーク時がどれほどモノスゴイかは今更説明する必要もないだろう。

 逆にいうと、19時過ぎならウソのように電車も空くのでゆったりと大阪方面へ帰れるので、よほど急用がない限り、その時間帯まで遅らせることをオススメする。
 また、京阪電車は出町柳を終点にして折り返すので、間違いなく座って帰りたい人はいちど終点まで戻ると良い。乗降客のもっとも盛んな四条や三条から数分であるのでたいした違いはないのだ。(あまり教えたくないコツだが、不思議なことにこの方法を使う人は稀であるので、ぜひお試しいただきたい。)

 しかしあなたがもしそうでなかったとしても、京都の夜の姿を知らないのならぜひ一度楽しんでみてほしい。もちろん、おもな観光スポットはすでに門を閉じているし、洛中の繁華街以外は昼間とは比較にならないほど人は少ない。だが見慣れた風景が夜に様変わりするように、京都の夜は驚くほど神秘的な姿になる。

 昨今はその魅力が売り物になると考えた人が“夜の特別拝観”なるイベントを桜の季節や紅葉の季節に行うようになったわけだ。
 行き交う客の反応がおもしろい。二人連れの恋人はもちろん、家族連れまでがまるで夜祭りに出かけているかのような浮かれようなのである。これも夜更けに出かける───夜遊び、夜行性とでもいうべきか───ならではの動物的興奮なのかもしれない。
 夜桜があってもなくても、もともと夜というのは魔物のための時間なのだから当然か。
 いにしえより夜桜は魔的である。
 出店もあってネオンも輝いているから祭りっぽいが、眩いばかりの照明に煌々と照らし出されているにもかかわらず、昼間のあの優しげなたたずまいは消え失せ、むしろおどろおどろしげな怖ささえある。

 夜桜の下には魔物が棲むと言うが、桜そのものが魔物だ。
 じっと見つめていると、酒などなくても酔ってしまうほどに、何か精のようなものを放出している。
 そのせいかどうかは分からないが、夜の京都は異次元空間に見えるときがある。
 飽きるほど何度も訪れ、店の配置や店員さんさえもおなじみになったつもりの清水界隈の店々たちも、お日様とは違った軟らかな灯りに照らし出された姿は昼間とは趣が全く異なって見える。

 まさにジャメ・ビュ。見知っているはずの店さえも始めて訪れた街のような気さえしてくる。
 暖色系の灯りにつつまれていると店に並べられたおなじみの品物さえも昼間見るのとはひと味もふた味も違って見えて、うっかりと衝動買いしてしまいそうになる。…まあ、それこそがこの企画の狙い目なのだろう。あいにくお店の方には申し訳ないが、フトコロに余裕がない筆者はもっぱらひやかしばかりである。
 ただし、京都の主要観光スポットのライトアップという企画は、ここ数年ですっかり定着というか、むしろ観光客寄せで“やったもん勝ち”的に濫発されている感がある。

 ここに掲載したような五重塔にSFチックなビーム状のサーチライトはまだ「よおやるなあ」レベルなので我慢できるが、高台寺のようにまるで悪趣味なキャバレーのショウみたいな色とりどりの照明はあまりに下品である。幻想的というより、悪夢だ。あの世で寧々様も呆れているに違いない。
 灯火の温かさ、柔らかな光こそが夜の京都の美しさを演出する。電飾看板さえも分をわきまえていれば風情になる。しかし、詫び寂を忘れた京都では、逆に本当に京を愛する客を失うことに早く気づいて欲しいものだ。
 逆に言えば、街頭に集まる虫のごとくミーハー客がそちらへ集まるならば、『ぶら旅流』ではそういうお登りさんスポットだけを避ければ落ち着いた夜の京都を楽しめるということでもある。

 やたら早い京都の夜も、ライトアップの経済効果でが少しだけ営業時間が延長されることで、ふだんなら閉店してしまっている筈の工芸店などが夜道に投げかける灯火の温かさは心に沁み入るように懐かしく切ないような気持ちにさせてくれる。
 これらの写真は春、桜の季節の清水〜産寧坂(三年坂)あたりの“夜の特別拝観”での写真だが、ビンボー観光を旨とする筆者はメインである清水寺の舞台には上がっていない。
 しかしごろうじろ。やわらかな光の中に浮かび上がる産寧坂や二年坂の風情を。いかにも造られた演出の奇妙なお寺よりもはるかに心の琴線に触れるものがあると思われないか?そう、京都ぶら旅の醍醐味は寺社巡りでもなければ観光地チェックでもない。
 京の町に息づく人の生活感あふれる息吹を味わうことなのである。

 余談だが、京都での宿泊が無理だとしても大晦日から元日にかけてならオールナイトで開いている店も多いので、一晩中京都市内をうろつくという究極の“京都夜歩き”という手もある。筆者は過去に二度ばかりこれをやったが、寒さに強いことと、よほどの酔狂であることが絶対条件であることを付け加えておく。