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かわばたどうり
 川端通りなんて名前からして、鴨川(出町柳より南は賀茂川ではなくこの字を充てる)の東側に川に沿ってず〜〜〜〜っと宇治あたりまであるのかと思っていたが、地図で確認すると南は八条(JR京都駅がある通り)あたりまで、北は出町柳で二又に分かれて北東へ伸びる高野(たかの)川に沿って宝ヶ池(CO2削減の京都議定書の採決などで知られる国際会議場がある)あたりまでしかないということが判った。
 しかも今回紹介するのはそのごく一部、京阪電車の終着駅・叡山電鉄鞍馬線の始発駅である出町柳から南へ下る約3kmくらいの京阪四条駅あたりまでである。
 実はこの通りには、1989年(平成元年)までは京阪電車が走っていた。…といっても、当時京阪電車は三条が終点で、現在の終点である出町柳まではバスで連絡していたので結構乗り換えなどがめんどくさかったものだ。
 それをまる5年の歳月を掛けて工事し、八条あたりから地下へ潜らせてそのまま鴨川に沿って七条・五条・四条・三条の各駅を地下化および丸太町・出町柳のふた駅を追加した。そうすることで叡山電鉄と完全に連絡したことにより、東山へのアクセスが飛躍的に向上した。
 事実、筆者もこのおかげで出町柳を基点に京都クエストを開始することが多くなったし、街のにぎわい方もずいぶん変わったような気がする。
 京阪電車の本線は、大阪側の始発駅である淀屋橋駅(狭いスペースでありながら、実に上手いシステムで運営されている地下駅である)を出発すると、北浜、天満橋と地下線を通ったのちに地上へ躍り出て、進行方向左手に土佐堀川(淀川の支流)を眺めながらイッキに高架線へと駆け上る。その間わずか十秒弱。下の写真がそれである。
 ▲これは大阪・土佐堀沿いの満開桜を走行中の京阪の車窓から撮影。全国的にも有名な“造幣局の通り抜け”からの人の流れでぞろぞろと歩いてくるとこれも楽しめる。川の水の汚さと沿道の屋台のゴチャゴチャ感は残念ながら大阪の名物。
 そして電車は京都をめざして北へ北へと上って行くわけだが、昔はゴールとなる七条〜三条間でも鴨川を同じ左手に観ながら走ったのだ。

 これが春ならば満開の桜が咲く大阪の川にはじまり、沿線の桜を眺めつつ、最後にはふたたび都の川桜を拝めるという実にオツなコースを走る電車で、さながら昔の三十石舟の旅をほうふつとさせる粋な演出であった。(もちろん筆者は舟で淀川を上ったことなどナイが)
 しかし当然京都を南北に走るからには、七条・五条・四条の大通りを堂々と横切ることになる。あいにくここに掲載できる写真がないのが残念だが、筆者の記憶では七条大橋を渡った先にある京阪の線路には、なんと遮断機がなく、警報だけが鳴って信号だけが点滅していたように思う。
 よく考えてみるとこれは大都市の、それも大動脈のひとつをよぎる鉄道の踏切に遮断機がないとというのはかなりとんでもないことなのではないだろうか。
 だからといって大きな踏切事故とかの話は聞いていないから、かえってそんなキケンむき出しの雰囲気がよかったのだろうか?
 あの情緒たっぷりで現在は世界的にも復活の傾向にある路面電車、それも日本最初の電車である京都市電を全廃してしまったのも、結局は車の通行の便利さを追求した結果だ。そういう意味では、むしろよくぞ平成元年まで地上を走らせてくれたという気持ちである。
 ともあれ今ではその川端通には春に満開の桜が咲き誇る、のどかでまっすぐな遊歩道がず〜〜〜っと延びている。大正4年の五条〜三条間開通以来、ずっとそこに電車が走っていたことがウソのようだ。
 筆者は車を持たないのでもっぱら移動は徒歩と電車だが、その電車はいまや地下を走っているわけだから、いわばこの川端通はその気にならない限り歩くことのない道だが、これほど静かな通りだとは思ってもみなかった。
 さすがに車の往来は少なくはないのだが、ジョギングや散歩する人くらいしか見かけないからそう思えるのか、出町柳から三条までは人通りは少な目だ。
 右と下の写真は出町柳と三条の中間ほどにある冷泉通とのクロスポイント。川のように見えているがこれも鴨川に注ぐ琵琶湖疎水で、この先上流のドンツキは平安神宮の西門である。そこで疎水はカギ型に折れ曲がって京都市美術館、京都市動物園の前を遡ると、インクラインの末端に届く。こうしてみると、インクライン沿いに植えられた桜がいかに多いかがよく判る。おそらくはインクライン建設の折りに、後の世のこうした風景を考慮して植えられたものが大半ではないかと考えられる。まったく、先人の風流さには感謝であるが、現代を生きる我々にそうした粋な心に欠けているのは恥ずかしい次第である。
 閑話休題。
 この冷泉通を下って洛中でもっとも幅の太い御池(おいけ)通から南へ下るにつれて川端通はようやく活気づきはじめる。
 三条京阪(京阪三条、ではなく、ジモティはこう呼ぶ)はもともと京阪電車の終着駅であり、そこから以前は京阪京津(けいしん)線が発着していたターミナル駅である。京津線は京都三条と滋賀県大津を結び、京都市内では路面電車の様相を呈して走る味のある路線だったが、97年に京都地下鉄東西線が開通するに従い相互乗り入れとなってこれまた地下に潜ってしまった。
 京津線の駅があった地上にはテナントの入ったターミナルビルがオープンし、今でも京都観光の東の基点として一日の乗降客は大変多い。(事実、大阪からの客はたいてい四条と三条でどどっと降りてしまう。)
 しかしやはりそれまでかなりの人間が行き来していた駅ターミナルがまるごと地下にもぐってしまったせいで、どうしても地上は確かにかつての賑わいはなくなったように思う。
 さらに下って四条に掛かると今度は打って変わった突然のひとごみに驚くが、三条〜四条〜五条の繁盛は昨日今日に始まったような、いやそれどころか百年二百年ですら足りないほどのキャリアだ。四条大橋の東北部には歌舞伎の祖といわれる“出雲の阿国”の像があるし、三条や四条の河原は歴史的にも悲喜こもごものさまざまなイベントで有名だ。
 まあ、五条の橋の上で本当に牛若丸と弁慶が丁々発止のバトルを繰り広げたかどうかは不明だが、五条大橋の南西部には彼らの像もある。そういうことを考えつつ、ぶらぶらと歩くには丁度良い距離と裏話に満ちた通りであるし、さまざまな店も軒を連ねている。気が変わったらどこでも道を選んで東へ入ればいいのだ。それぞれの通りにはそれぞれごとに異なった魅力のワンダーロードがのびている。
 なんといっても東山、南禅寺に哲学の道、清水さんにねねさんのお寺。「ほんに、なんなとおまっせ。」

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