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びわこそすい 〜やましな〜
 筆者はもともと川が好きなのだが、疎水のような人工的な用水路も好きだ。用水路というのは時に地下に潜ったりトンネルがあったり、果たしてどっから流れてきてどこへゆくのかイマイチわからない神秘的なところが妙にガキンチョ的好奇心を刺激するからだろうと思う。
 ことに琵琶湖疎水はそのなりたちからしてドラマチックだし、トンネルの出入り口は石組みで大時代的な造りの上になにやら青銅製らしきいかめしい雰囲気の額までがはめ込まれていて、のぞき込めば真昼でも吸い込まれそうな闇だが、水だけは琵琶湖からトウトウと流れてくる。
 この写真Aにあるトンネルも、晴天時にのぞきこめば向こう側の光が見えるのだが、実は600mもの距離があるという。

 しかし今ではその真っ暗で不気味に見えるなぞめいた水路も、1951年までは水路として滋賀県大津〜京都岡崎間を貨物だけでなく旅客も運搬する舟がさかんに行き交っていた水上交通路であり、当時の京都府が威信を懸けて行った大事業だった。

 上の地図を見ていただきたい。琵琶湖からはるばるとみっつのトンネルを抜けた先にある蹴上舟溜(けあげふなだめ?)と呼ばれるダムから、画面では右端に切れてしまっているが、岡崎にある南禅寺舟溜まではその距離に対して落差がありすぎるために考えられたのが本コンテンツの“蹴上(けあげ)”のページにもある、かのインクラインと呼ばれるケーブルカー式の輸送手段である。

 たしかに蹴上から岡崎へ歩くだけでもなかなか結構な坂道で、アレを水路にしたならば見事な絶叫系ウォーターライドになることだろう。聴くところでは人を乗せたまま舟をケーブルカーよろしく約10〜15分かけてゆっくりと上り下りしたらしいというからなかなか趣のある乗り物であり、事実当時もそれを弁当持参で見物する客もいたほどだそうだから、かなり好評を博したというわけだ。
 案外今のご時世なら春と秋の観光シーズン限定で復活させても人気が出そうな気がするのだが…ちなみに、なにかの番組内でこの水路は関西電力の管轄だとか聴いたことがある。

 今回の主役はその疎水の、あまりメジャーでない山科(やましな)側の川沿いに設けられた散歩道。洛中のほかの例に漏れず、流れのあるところには必ずと言っていいほど桜が植えられている。今回はこの琵琶湖疎水をぐぐっと東の方の山科(やましな)疎水と呼ばれるあたりまでさかのぼってぶらぶらと歩きはじめ、お馴染みの岡崎まで桜を観ながらたどりつこうという趣向である。

 スタートの最寄り駅は京阪電車京津線の“けいはんやましな駅”またはJR東海道本線山科駅。ちなみに、ふたつの山科駅はおおむねひとつにかたまっていてそれなりの規模があり、イマドキらしく立派なコンビニなどもあるのでハイキング用の弁当を用意するにも便利だ。
 また、途中には公園ではないにしてもベンチなどもしつらえてあって弁当を広げていても不自然でない場所もある。
 ただし、筆者が紹介する他の桜散策路と同じで、宴会など無粋なマネはできないので、そのへんは心得られたい。

 ご注意■京阪を使われる方へのご注意なのだが、この京阪電車京津線はそのまま京都市地下鉄東西線と同じレールを走っている。したがって洛中へ戻るは何に乗ってもいいが、洛中方面から山科へ向かう場合は“大津・坂本”方面行きに乗る必要がある。
 というのは、ひとつ手前の御陵(みささぎ)駅で二つに分かれ、京阪京津線は地上へ出るが、京都市地下鉄の方は地下に潜ったまんま南下してしまうからだ。ロスしても大した距離ではないが、初体験の駅でそういうややこしい目には逢わないにこしたことはない。

 駅を出て線路沿いに200mほどでまっすぐ北の山方面へ向かう道に出るので、そのままひたすら閑静な住宅地の坂道をえっちらおっちら上って行くと疎水にかかる石造りの橋に出る。…まあ、山へ向かって登ればいずれ疎水のどこかにはたどりつくのだが。

 そこから少し流れに逆らって東へもどると、急激に盛り上がった山の中へと疎水は消えている。そこが第一疎水と呼ばれる、京都側の疎水の出水口(写真A)である。
 余談だが第一というからにはもちろん第二疎水もあって、文献によればそちらは完全な地下水道として第一疎水に沿うようにしてほぼ平行に走っているそうである。

 もともと水量が多いのと、流れの底に自然の川のような起伏がないために水面は穏やかに見えるが、じっと眺めていると意外にその流れは速い。水面に散りゆく桜の花びらを見ればその速さが実感できる。(写真C)

 山科は盆地・京都を浅い器に例えるとフチと言える程度の高さがある土地がらなので、散策中もときおり樹々の間から京都東南部の町並みが遠くまで望める場所がある。大した高低差ではないのだが、それでも桜の開花は多少平地より遅いめに思える。
 事実、じつは一度平地と同じ頃に行ってみてほとんどがツボミ状態という空振りを経験しているのである。毎年のことだが、まったくもって桜の開花時期を予想するのはムツカシイ。
 また、二度に渡る撮影はいずれも午前中から14時くらいまでだったが、ご覧の通り晴天とはいかなかったのが残念である。毎年実感することだが、桜ほど晴天でないとその色合いがうまく表現できない花はないと思う。
 しかも例の“桜色”というヤツは晴天でも本当に思うように発色してくれない。やはり自然の生み出すものは偉大だ。
 こればかりはどんなにデジタルで調整しようとも、撮影当時の感動は再現できない。
 以前、京都には日本で初めてというのが多いと書いたが、ここにかかる何気ない橋も実は日本で最初のコンクリート橋である。(写真F)調べによれば1904(明治37)年竣工だそうだ。本当は横に説明らしきプレートがあったのだが、古くなりすぎて判読できなかったのである。
 このアーチ橋をぬけるとすぐに黒岩の第二隧道(トンネル)の入口がある。
 今では舟で通り抜けるというのもできないので、その横の急坂を登って小山を迂回。筆者の場合は、実際に疎水がどう流れているのかが観てみたかったので、日ノ岡という所を数百メートルだけ露出している部分も追っかけたが、事実上黒岩までが今回の山科疎水桜散策路としての終点だと思う。

 御陵の駅からふたたび京阪電車京津線(あるいは京都市地下鉄東西線)に乗り込んで洛中へと戻るのが上策であろう。

 一応ついでにもひとつ山を迂回して御陵から蹴上を越えて岡崎まで歩いてはみたが、ビュンビュン車が通る単なる山越え道路だった。しんどくてつまらないのでオススメしない。ココを京阪京津線がモーターをウンウン唸らせながら上り下りしていた昔は面白かったはずだが。


▼山科疎水付近の地図はこちらから▼