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ゆきのぎんかくじ
 昔から銀閣寺といえば雪をかぶった風景の絵はがきを思い出す。
 が、雪が降ったときに京都近辺、それも北白川周辺にタイミング良く居ない限り滅多にお目にかかれる景色ではない。
 まして同じ近畿圏とはいえ筆者の場合でも行くには2時間はかかる。また、いくら京都が底冷えするからと言っても、ハタと止んでしまえば所詮近畿の雪。あっという間に溶けて消える。だいいち、職を持つ勤め人の身、うまく休日と合致しない限り指をくわえて雪が降るのを眺めているしかないのが現状だ。

 実はこの写真は2005年12月18日の日曜日に撮影したものである。次の日は仕事があったが、こんなチャンスはまずないと思い切ったのが幸いした。
 昨年2007年は12月29日に初めてミゾレが降ったというニュースが流れ、明けて今年2008年1月1日も雪もやいという天気予報。
 さすがに正月三ヶ日はなにかと人出も多いだろうが、逆に言えば寒い季節のこと、うまくタイミングを外せばご覧の程度の人出である。 


 もともと銀閣寺は柿葺(こけらぶき)に板戸板壁といった風情なので、かなり地味である。まあ、日本の社寺は基本的に漆や箔が剥げてもそのままの古びた姿を伝えてゆくのでなべて似たような調子なのだが、むかしから金閣寺とペアで思い出され、かたや金箔で身を固めた世界に名だたる派手な建物、だからといって銀箔を貼りめぐらせてあるわけでもないのに銀閣と呼ばれているせいで、なおさら名前負けして地味に見えてしまうのだ。
 最初に、銀閣寺といえば雪をかぶった…と書いたが、逆に言えば普段の銀閣寺は正直言ってイマイチ冴えない。それほど地味なのである。

 じっさい筆者たちが幼かった頃、「あれは昔は銀箔が貼られていたのだが、奈良の大仏や他の寺の鮮やかな漆のように長い年月のうちにはげ落ちてしまったのだ」とマコトシヤカに聞かされたりしたものだから信じ切っていた感がある。
 最近では科学的調査のもとに、銀箔が貼られていた形跡は皆無であるという見解が出されているそうだ。
 ただ、計画だけはあったとかなかったとか意見は種々あるらしい。

 そうした最近の説のひとつに、銀閣の前の池に映った満月の灯りを室内に採り込ませる工夫として銀箔を貼る計画というのがある。
 金閣のような全面貼りではなく、池に面した方の軒ひさしにのみ、月という光源のレフ板として銀箔を貼るつもりだったのではないか…と、その説はいう。事実、池の名前は“銀鏡池”というそうだ。

 ───説の真偽はともかくも、筆者はこの説が気に入っている。もしその説が正しかったとしたら、金閣の金箔は装飾用だが、銀閣の銀箔は実用のためだったことになる。
 風雅を友とした義政だし、まして禅宗の流れを汲んだ上での観音堂であった銀閣だから、銀箔などはありえない…という説もあるが、銀閣寺のプロデューサーである足利幕府八代将軍の義政公、政治家としても夫としても足利家の当主としてもダメダメだったものの、造園クリエイターであり芸術家としては希代の才能を発揮した彼だからこそ、むしろそうした斬新なアイデアをもとに風流で渋好みなこの建物を計画しそうな気がするからである。

 義政の祖父であり、一説では時の天皇に取って代わろうとさえ目論んだと言われる野望家、足利三代将軍・義満の造った金閣は、デザインこそシンプルだが装飾の材料は贅を極めた、まさに存在そのものが政治権力・財力の象徴の“産物”だった。

 それに対して銀閣は、政治的にはな〜んもやる気がなかったような趣味人・義政の純粋な芸術的意図で生み出された“作品”といえる。予算のこともあるのかも知れないが、どっしりした金閣に対して瀟洒(しょうしゃ)な銀閣はこのおよそ百年のちに活躍する千利休の口を借りればまさに“詫び寂び”なデザインセンス。

 ───ウィキペディアによると、じつは銀閣寺を絵はがき風アングルでの撮影の際には、必ずと言っていいほど写し込むお定まりの“向月台”と呼ばれるプリン型の砂盛と、それをとりまく枯山水もどきの“銀沙灘”というものがあるが、じつはふたつとも義政の意図したものではなく、江戸時代後期あたりに付け加えられたものらしい。

 もともとは後年銀閣と呼ばれている観音殿と、東求堂(とうぐどう…右写真上の大きな建物)があり、さらに今は失われてしまった東山殿とよばれるかなりの規模の建築物もあったらしい。

 また、絵はがきやガイドブックではお定まりの構図くらいしか出てこないが、じっさいに訪れてみると、回遊式というのだろうか、銀閣をスタート地点としてぐる〜っと一周、裏山感覚で巡ることができるようになっている。

 庭園の一部には鳥居もある。といっても明治初め頃の廃仏毀釈運動が激化するまでは、聖徳太子以来、日本では神さんもホトケさんもいっしょくただった。

 団体旅行とかで訪れるとどうしても時間やコースが決められてしまうが、もし余裕があるのなら、数百年前に表向きの仕事で悩み、きっつい嫁はん(日野富子)のダークパワーに頭を抱えていた義政公がささやかな息抜きを楽しんだ往時を偲んでのんびりと庭園をめぐってみていただきたいものである。


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