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えんつうじ
 円通寺のある岩倉は、もともと倒幕の立役者のひとり、公家の岩倉具視が幽棲したという家が現在も残る由緒ある場所であるが、西は上賀茂、北は鞍馬、東は八瀬に挟まれた場所にありながら観光的にはずいぶん地味な印象である。
 叡山電鉄鞍馬線が東西によぎってゆく先には京都精華大学や京都産業大学があるし、なにより鞍馬・貴船への道中なので、朝夕はもちろんのこと、折々の観光シーズンには本格的なラッシュに出くわすほどの賑わいを見せる。
 だが、岩倉はいわゆる通過点なのである。と言っても見どころがないわけではなく、ミーハー観光客がお目当てにするようなスポットではないだけなのだ。
 強いて言えば、南に位置する宝ヶ池にかの1997年に京都議定書を採択した『地球温暖化防止京都会議』が開かれた国立京都国際会館があり、そこまで1997年に地下鉄烏丸線が伸びているので昔よりははるかに出かけやすくなっているのだが、ここは京都というよりも特撮ファンにとっての過去ロケ地のひとつでしかない。
 というのも1966年に完成したこの巨大な会議場は、ウルトラセブン『ウルトラ警備隊西へ前・後編』に登場して、史上初の合体型スーパーロボット・キングジョーとの対決を前に広がる宝ヶ池の水面に映している。

 閑話休題。
 その国際会館から西へわずか1kmの山腹にあるのが円通寺である。
 山腹、と書いたが、上賀茂神社から東へ山のすそ伝いに1kmほど歩いたのちにググッと北へ回り込んだあたりから、しばし途中25%勾配(つまり100m進むと25m昇る勘定の坂)というかなりキツい坂を上るハメになるからだ。
 そんな急勾配でも坂の左右を埋めるように立派な家が並んでいるのには驚く。
 この円通寺、もともとは江戸時代初期に後水尾(ごみずのお)天皇の別荘として幡枝(はたえだ)離宮と名付けられ建てられたものを、後年禅寺に改めたものだとかで、そのため建物そのものが桂や修学院離宮とよく似た、直線をモチーフにした端正で洗練された建築様式になっている。

 そういう意味では千二百年の都の寺にしては歴史が浅い方だが、それでも平成19年現在で368年も経っている。
 長い年月に磨き上げられ、木目が見事に美しく浮き出した手すりや欄干、床板はたしかにかなりの古さだが、つるりとなめらかな表面には虫食い穴や疵ひとつなく、永年よく手入れされてきたことが手のひらや足の裏に伝わってくる。あいにく庭園以外は一切撮影禁止なのでここでお目にかけることはできないが、ぜひ建物そのものの美も味わっていただきたい。

 さて、最大の見せ場といえばバチが当たるかも知れないが、やはりこの寺をして天下にしらしめているのは、かの筑紫哲也氏をして『最後の借景』と言わしめている庭である。
 下の写真はちょっと工夫して、スライダーを左右すれば、なんとな〜くだが実際に縁側に座ってパノラミックなこの庭を眺めているかのような視点で観られるようにしてみたが、いかがだろうか。
 全容を一枚でご覧になりたい場合は→■ここをクリック(横長の全体画像が新たにポップアップします。)
 この庭園、一種の枯山水式だが、かといって竜安寺などのように水を表す模様を描いた砂に巨石が点在させてあるタイプではない。美しく青苔が敷かれ、ツツジなど植栽も植わっている。
 ご住職の説明によると、後水尾天皇が借景の理想とされた場所を求めて都中を探しまくること足かけ20年もの歳月を費やしたという。まあ、ご本人ひとりでお探しになったわけではないだろうが。
 しかし苦労の甲斐あって、比叡山が近すぎず遠すぎず、また伸びやかで雄大な山麓の稜線がもっとも美しく眺められるポイントがこの地だったという。
 実際にこれまで京都のあちこちに来られた方なら、この庭の彼方にそびえる比叡山のあまりの納まりの良さに驚かれるのではないだろうか。存外に比叡山というのは近くに行くと圧迫感があり、少し離れただけのつもりが随分遠くに見える不思議な山である。

 筆者は円通寺の誇る、まさに“知る人ぞ知る”借景を前にして、思わず「うわ」と声を出してしまった。
 比叡山がこんなに美しい山だったとは、ついぞ知らなかった、というのが正直な感想である。比叡は文字通り京都の屋根であり、少し空が開けた場所なら必ず存在を主張する。これまで京都を訪れるたびに何度も眺めていたはずの、その山がこれまで見てきた姿とは全く異なる、まさに都を鎮護する偉大なる霊峰として目前にひろがっていた。

 住職曰く、幡枝小御所と呼ばれたこの離宮の水利・地の利便にもっと不自由がなければ、幡枝離宮造営より下ること20年後の修学院は造られることはなかったのではないか、といわれるほどに後水尾天皇(のちの上皇)はこの地を好まれたという。

 おもしろいのは、実際にその場にいても気づかないこの庭の実際の広さである。
 たとえば前方にある生け垣。4〜50種もの樹々を混ぜた“混ぜ垣”で、実は高さ1.6mもあるという。昔はなかったが、周辺の宅地開発の目隠しとして造ったものだそうだそうだ。しかもそれでもいよいよ隠しきれないほどに宅地造成が進んできているのも事実である。実際、筆者が訪れた日も大工仕事の騒音がかまびすしかった。
 そして庭そのものはなんと400坪もあるのだが、不定間隔の柱や、この床そのものが通常では考えられない高さがあるために、巨石も高い生け垣もまるで盆栽かジオラマのようにさえ見えるのである。
 縁先に立って見渡してみるとその辺りの“トリック”が見えてきて、別な愉しみ方もできる。

 ここまでご紹介した写真が筆者が撮影した11月3日の時点での樹々の色づき程度である。参考までにこのページの一番下に入場寺にいただいた栞に載っている写真もご披露しておこう。
 また、円通寺拝観受付のある玄関先に掲げてある数点の写真もご覧いただきたい。その中で筆者が特に惹かれたのは、満月の光に浮かび上がるこの庭園の白黒写真である。訊ねると、すでに40年も前の中秋の名月の時のものだそうだ。よく見ると生け垣はもちろん、今よりもずっと見通しが良かったらしきことが分かる。

 京都の景観破壊が問題になってずいぶんになる。あまりに慢性化してしまって、ともすればウカツにも忘れてしまうほどなのだが。
 嵐山にタレントショップが林立しはじめた頃から、あまりの見苦しさにマスコミが取り上げるようになったのでそうした問題が表面化したのだが、実は京都の京都らしさがどんどん失われていると嘆く話は実は筆者が幼い頃から…つまりかれこれ40年も昔から取り沙汰されているのである。
 その中でも、やはり最大の問題は建築物の高層化が原因となるものが大きい。
 一番身近な例は大文字の送り火である。
 もともと京都の山は900m級の比叡山を除けばどれも“地べたのコブ”レベルの低い山ばかりだ。五山の送り火とても例外ではない。しかも狭い盆地である。そんな場所へイマドキの5階6階建てのビルを林立させたら送り火など見えるはずがないのである。

 筆者が学生だった70〜80年代でもすでに一カ所で複数の送り火を拝むことは難しくなっていた。
 そもそも天皇のお住まいである御所を擁する京都は、不敬にあたるとして高い建物を建てることを禁じ、また“御上をも恐れぬ”気質で知られた京童(きょうわらべ)たちをして「もったいない」としてその不文律を守ってきたのだが、京都駅のある中心部あたりから何をトチ狂ったか御上の番人である筈の木っ端役人が先頭に立ってガンガンとビルを建てまくった。
 その最たるものが、まるでツイタテのような今のJR京都駅。
 かつては京都タワーがあまりにも景観を損なうとして、かなり根の深い反対運動に発展したと言うが、それでも今の無機的かつあまりにも無意味に巨大な京都駅に比べれば、ローソクの形をしているだけ遠慮があり、そして視界を遮らないだけまだはるかにマシであるといえる。

 もともとこの狭苦しい日本という国、それもれっきとした都にあって、有効視野が120度以上もある人間の視界の中を余計で見苦しいものを入れずにバランスのとれた美しいもののみで満たそうというのは土台無理な話なのだが、その悪条件にあえて挑戦し克服して得られたものに『借景(しゃっけい)庭園』がある。
 大自然が生み出した美しく広大な風景を、さながら背景画のように庭の一部として設計思想に加えた庭園のことである。
 筆者もあずかり知らぬ古い昔には、京のさまざまな場所や自社でそうした借景庭園が見られたという。
 『円通寺』は、おそらく最後の借景庭園を擁する寺である。しかも哀しいかな、それも今やあやうい。

 おまけに今やジモティでさえもほとんど知る人のない寺でもある。そもそも『ぶら旅』はそうした場所でありながらも魅力的なスポットを選って取材しているのだが、同時にミーハーで心ない人には近寄ってすらほしくない、というのが正直な気持ちである。しかしこの円通寺の場合は少しでも多くの人に知っていただき、失われようとしている『最後の借景庭園』をなんとか護る手助けにならないかと思った。
 最後の借景庭園の寺『である』が『だった』にならないよう、心ある京都ファンにぜひ訪れて応援していただきたいものだ。

 なお、平成18年の台風で文化財である茶室が倒壊し、今現在も修復のための寄付を募っている状態である。

 ちなみに筆者は上賀茂神社から円通寺へ向かったために、前出の25%登り勾配に出くわしたわけだが、逆に叡山電鉄木野(きの)または京都精華大前駅から南下すればそんな目には遭わずに済むことを加えておく。………といっても、登りが下りになるだけなので、雨の後や枯れ葉などで転ぶ危険性も留意されたい。



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