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ふしみいなりのあるきかた そのよん
 ここは『春繁大神』。地図をご覧いただければお分かりだと思うが、鳥居の回廊はこのあたりから途切れてしまい、もう回廊ではなくなる。
 同時にいわゆる伏見稲荷のイメージからは大きくはずれた、しかし逆に観光地ではなく神秘的で清浄な信仰の地といった空気感で満たされる。
 だが本当に薄暗い。この写真はコントラストを強調したりしているのではなく、光と闇の度合いが実際にこんな調子なのである。タッチは違うが、まるでレンブラントの絵画を地でいくような色合いだった。

 写真上左の手水は『長者の社』のもの。剱石、とも書かれているが、立て札を見ても要領を得ず、どっちがどういう由来なのかもよく判らない。
 さらに進むと途中、谷間に空中階段といった趣の橋を渡った先に『薬力大神(写真上右)』がある。
 霊験あらたかな水が湧いていて、行者の水行場があったり、お休み処ではその水を利用したゆで卵などが売られている。たしかに鬱蒼と薄暗いのだが、凛とした空気の中にもなぜか懐かしく優しい雰囲気でじつに落ち着く。
 生活感もあり計算された風景ではないのだが、名のある庭師の手による名園に身を置いているかのような清々しい気分になれるのである。

 ここで道は二股に分かれる。古い石の道標があり、『かいり道』『右 かさすぎ』とある。一瞬何のことか首をかしげるが、“かいりみち”つまり帰り道のことだと知る。だがどこへの帰り道かと地図と格闘していると、そちらへ進むと四ッ辻へ戻れるのだと判った。
 さきの四ッ辻紹介の折に、下、中、上の三っつの社を巡らずに清明の滝へ直行するコースはここに通じていたのである。
 尾根線に沿っての道は『歩く地図の本』によると“比叡山から西山まで京都市街が一望になる最高の展望地”と紹介されているのだが、なんとなく四ッ辻へ戻ることに抵抗があったので今回は同じ本に“昼なお暗い沢沿いの道”と記された裏道っぽい方を行くことにした。


 こちらの道はそのまま川沿いのこともあり、水が豊かなのだろう、先の剱石を模した手水のように小さなお社でもちゃんと手水が作られていた。モノ自体はわりと真新しいが、水脈自体はおそらく山の開びゃく以来ほとんど変わらずにあったのではないだろうか。
 上之社を区切りとして表側の社とこちら側の社との大きな違いは、豊かな水脈の恩恵の有無のようだ。水は浄めに通じ、豊かさと同時に侵すべからざる圧倒的で神聖な力の象徴である。
 いっぽう表側は、日射しに恵まれ空に対して開放的なため必然的に太陽神や星辰系を祀り、逆に裏側は水つまり地の力にかかわる神様を祀ることとなる。
 薬力大神エリアを出てさらに清滝大神(上の写真下段左)にも水行のための修行場がしつらえてあるが、美しく整えられていた薬力大神に比べると何年も使われていないかのように寂れていた。『落石注意、危険』とまで書かれていたほどだ。日が沈んでしまえばおそらく真っ暗闇ではないだろうか?
 清滝大神を過ぎると、残念ながらもうただの単なる山道である。
 たま〜に残されたようにぽつり、と鳥居だけや塚だけが淋しく立っている場合がある。しかし写真だけ見ていると一体どこの山かと思うが、この先200m以内でいきなり民家が現れて風景が変わるのである。

 じっさい、逆に東福寺方面からやってこられる人とも何度かすれ違ったが、ハイカーなどではなく普段着・普段履きの軽装からすると、おそらく日頃から散歩道にされている“近所の人”なのだろう。
 やがて『京都一周トレイルコース』の標識(上の写真右下)が見つかったら、その先の土道を10mばかり上がるとお粗末な石段(上の写真右上)が見つかるので、そこを上がるとそれまでの山道が嘘みたいに高級住宅地街に飛び出す。
 あまりのギャップが面白いので写真を入れようかと思ったが、行かれる酔狂な方のためにお楽しみとしておくことにした。
 まさに『狐につままれたような』ハイキングのゴールである。あとは道なりになだらかで広い道を降りてゆくと、東福寺の勅使門へでるという寸法だ。

 ちなみに、“比叡山から西山まで京都市街が一望になる最高の展望地”らしき光景を山の下を南北に通る本町通りの京阪鳥羽街道駅あたりから見上げたのが下の写真である。撮影は別の日の夕刻。
 距離にして300mくらい離れているのだが、フツーの街、フツーのマンションの背景として鎮座ましましている光景はいかにも神様仏様がまぢかに、しかも沢山おられる京都ならではのものではないだろうか。
 今回はアマノジャクが邪魔をして不思議コースを歩いたが、いずれこちらも歩いてみようと思う。

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