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せいりょうじ
 ここは清涼寺。嵯峨野散策の基点近くでコースとしても途中にありながら、意外なほどに人がいずに広々とした境内に姿の美しい桜が点在する、落ち着いたスポットである。撮影は2008年4月5日。

 創建以来かるく千年経っているというこの寺の縁起と成り立ち、そしてその後の歴史的なカラミはなかなか面白いが、複雑で平安・白鳳あたりの歴史に疎い筆者がそれをうまく抜粋するのは難しいため、例によって詳細はウィキペディアで読んでいただいたほうが余程正確で役に立つだろうと思う。
 よって、『ぶら旅』では単純に花の写真と筆者のくだらない四方山よそ見話を楽しんでいただきたい。

 資料によれば日本の桜の種類は植物学上の分類では思いのほか少なく、たった9種類に分類できるとある。ただし園芸品種となると340種類以上もあるという。
 もちろん日本中で圧倒的に多く栽培されているものはソメイヨシノといいきっても異論は出てこないと思うが、ほかの方はともかく筆者はどうやらソメイヨシノはあくまで一本一本を花のカタマリとして“眺める”か、気を“浴びる”桜であり、あまり一輪の花を愛でるということは少ないように思う。

 一方、枝垂(しだれ)桜やおかめ桜、富士桜など小輪系の桜は、たいていの場合かれんに花開いたたおやかな枝を近く引き寄せるなり側に寄るなりして、その一輪一輪の花を愛でている事が多い。
 ソメイヨシノはたしかに桜の代表格だが、王者の風格がありすぎて男性的にさえ感じるほどだ。しかし枝垂桜はまるで花かんざしのようでなんとも可愛らしい。
 色も一般的な“桜色”よりも一様に濃いめで華やかだ。この優しく微笑みかける小さな観音様にも花かんざしがよく似合う。

 左は清涼寺本堂の手前にある真四角な池のほとりに咲いていたしだれ桜。全体の高さでいえば3m〜4mとソメイヨシノと変わらない樹高でも、文字通り枝が美しいアーチを描いてしだれているので花が人の目線にで咲いてくれる。おかげで無理なくこうした花を透かしての構図ができるわけだ。
 神社と異なりくすんだダークグレー系の寺の建物は、晴れた青空にピンクの花を添えられる事でご覧のように艶やかな写真になる。

 最初の写真をご覧になるとお判りかと思うが、清涼寺の桜は他の寺社に比べてもかなり本数が少ない部類だろう。まして観光地・嵯峨野という観点からすればもっと派手派手しくワンサカ植わっているほうが納得できるというものだ。
 だが境内をぐるっと巡ってみると実に絵になる構図が多いのである。
 センスがいいのである。
 むしろ茶席における茶花のように、桜は無駄なく効果的な場所に植わっていることが分かる。

 本堂や多宝塔もそうだが、阿弥陀堂や茶店など建物ひとつひとつに桜の木が“添えられて”いる。
 しかもそれが大きく豪華なソメイヨシノでも、単独植えでそれぞれの建物が大きめなために過美にならない。
 普段は輪を掛けて地味な鐘楼も、桜の季節はご覧のように絵に描いたようにうまく被さってなかなかの構図であるが、トイレも近い境内の外れにあるせいか、筆者以外に日曜カメラマンも誰一人いなかった。
 ただし、3月15日は『お松明』と呼ばれるイベントが行われ、広い境内が人と縁日の店で埋まるそうなので、そういうのがお好きな方は目指されるのもまた一興である。

 ところで筆者の母は、頭上に満開の桜があるときでも足もとにささやかに花開くスミレの方に心を奪われる人で、この時も山苔の間から花を咲かせていたノジスミレとコスミレに夢中だった。
 よく見るとそれらが咲いていたのは『豊臣秀頼首塚』の足もとである。
 聞くところでは1970年代後半に大坂城三の丸遺跡から発見された頭蓋骨に介錯のためと思われる刀傷がある事から、秀頼の首級(みしるし)ではないかということで、秀頼ゆかりの清涼寺にこうした碑をこしらえて祀る事になったとか。
 のちに天下を牛耳った徳川家の策謀かどうかはともかく、今に伝わる秀頼の実態はいずれも不正確なため未だにけっこう謎だらけで、遺髪などの遺伝情報も見つかっていないから確かなDNA鑑定のやりようもない。
 だが、いずれにせよこの碑と共に建てられている『大坂の陣供養碑』にあるように、そのしゃれこうべは稀代の巨城を枕に討ち死にした多くの武士の魂をもった首のひとつには違いない。

 観光地として京都を巡り訪れていると、ときとして寺というのが死者の魂を鎮めるための装置である事を忘れてしまう事がある。
 今生きている自分があるのも、直接かかわっていようがいまいが、祖先の誰かは彼らと同時代に生きていた事をあらためて考えてみてもバチは当たるまい。

 ところでこれが境内の茶店である。今はトタン葺きになっているが、形状からすると昔は入母屋造りの茅吹屋根でさぞや風情のある風景だったのだろう。
 ちなみにここの茶店にも“あぶり餅”があった。残念ながら食事をしたあとの上にご覧のように満員御礼状態だったので試していないが、見かけは見本を見る限り『今宮神社』のそれと大差ないようだが、お味の方はまたひと味違うそうなのでいずれ機会を見て試してみたい。

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