ちなみに堀川通こそは、筆者が生まれた昭和36年(1961)まで日本初の路面電車…通称“チンチン電車”が走っていた。
路面電車の事をそう呼ぶのは、警笛や合図に運転手や車掌が鐘を鳴らした事に由来する(動態保存されたチンチン電車の音を聞く限り、個人的にはどう聴いてもカンカン、にしか聴こえないが)。
もちろん京都から発した名称である。当時の京都庶民が通称として呼んでいたものがそのまま旅行者などを通じて全国へ伝わったのだろう。
その一両はいまも平安神宮の南神苑に安置されているが、とんでもなく小さい。車幅も狭いので昔の本を見ると向かい合わせに座った人の膝にラクに手が届いた、とある。運転台と車掌の席は吹きっさらしだし、大雨の時など浸水して感電やショートする事などはなかったのだろうか。
写真では植木に隠れてしまっているが、台車は今の路面電車と違ってひとつだけなので、カーブの折など左右だけでなく前後上下にまでかなり揺れた事だろう。なんせ京都の路面電車のカーブは90度に曲がったのだから乗り心地はかなりダイナミックだったに違いない。筆者が知る京都市電もたいがいだったから。
そしてこの電車を動かしていたのは他ならない蹴上にある日本初の水力発電所の電気であった。
江戸幕府の象徴である二条城の前を元気よく疾走する産業革命の象徴、チンチン電車。
さぞや京都の人間にとって痛快だったに違いないと思うのも、筆者の勝手な想像である。