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きょうとしぼりこうげいかん
 筆者は生粋の日本人で、しかも母と祖母の和裁によって永年養われたにもかかわらず、ごく最近まで“着物”のことを何一つ知らなかった。
 近年、大阪のとある呉服屋さんの広告を担当するにあたってはじめて一から勉強して、その時やっと振袖と留袖の違いを知った。もちろん今ではそれなりに染めの手法や織りの事などもそんじょそこらの男性陣よりは理解できている部類に入ったと思う。しかし、実際に袖を通した事は48歳になった今も未だにない。
 だが日本人の大半は和服に関してそんなレベルの知識しか持ち合わせていないのではないだろうか。
 じっさい、和服のハードルは高い。知れば知るほどに着方は難しく、本当に恥ずかしくない着方で着こなそうと思えば、浴衣のように気楽に見えるものでさえルールも作法もそれこそ一朝一夕には絶対にマスターできない深さを持っている。
 民族衣装というものはどこの国でもそうらしく、またそれ故に時代の流れと共に滅びの道を進んでいる場合が多いと聞く。

 だからといってまさに袖擦り合うもなんとやら、知り始めたからにはもう知らないでは済まされない。好奇心も手伝って、筆者はこうした展示館があると飛び込まずにいられなくなっている。


 ここ『京都絞り工芸館』はたまたま『歩く地図の本』で歩く場所を物色していて見つけた。場所は二条城からほど遠くない、油小路御池通り下ル。
 デザインの凝ったすごく立派な建物だ。「へえ!こんなのがあったのか」と思ったら、かつてここは業者の人のみが出入りできる所だったという。
 近年、衰弱の一途をたどる和服や伝統工芸の世界を少しでも伝え残すためにと、一般にも見せるようになったのだと伺った。

「お時間、ありますか」と案内の男性に導かれるまま階段横の小さな部屋にお邪魔すると、壁一面に思えるほどの大画面モニターがしつらえられたDVD視聴室であり、実際の作業の様子を録画したものが見られるようになっている。

 ビデオで絞り染めに関する基礎知識を分かりやすい編集で見せてゆく。(上の画像は工芸館内に展示されているパネルより。許可を得て掲載しています)こうした技術系の見学館に多い手法だし、ある程度は知っているつもりだったのでお座なりに観ていたが、やがて指先が大きく映し出された所からは思わず目を見張った。
 モニターの画面が大きい為もあるが、実際に虫眼鏡片手に覗き込んだとしてもこうは見えないだろうと言うくらいのマクロレンズでの拡大率だ。これまでもテレビの特集番組などで放送された事のあるシチュエーションだが、これほどアップでしかも見やすい角度で撮影されたものを見た事がない。
 だが、それほどの拡大率でさえも、指と指の中に封じ込まれている布の中にすでに作業を終えていくつも並んでいる絞りの部分は小さい。
 そしてそれの十数倍もあるように見える指が、まるで微速度撮影ででもあるかのように目にも止まらないほどの軽快な動きで次の『絞り』を作ってゆくところが鮮やかに撮られている。

 ひとつの工程は大体こんな具合である。

 まず絞る部分の布をつまみ出し、それを等分に四つにたたむ。もちろん計ったりはしない。指先だけの勘で同じだけの布を取り込み、同じ大きさで丁寧にたたむのである。
 その畳まれたわずかな先端のみを残して、裾野にあたる部分に糸を巻く。
 この時に木綿糸なら太いので三回、絹糸は細いので七回〜九回も巻く。

 写真の指先は工芸館で筆者を案内してくださった伝統工芸士の男性のものである。染める前の無垢な絹独特の煌めきがなんとも神々しい。
 こうして比較すると、染める前のひとつひとつの絞りはおそろしく小さい事が分かる。一見しただけではレース編みのようだ。つままれ、畳まれた絹のひと粒は実際にはボールペンの先端ほどしかない。
 しかも画面の向こう側へ折りたたまれている境界部分を見ると、ひとつひとつがまったく同じ高さに揃い、小さな先端以外は見事に円筒状にくくられている事が見て取れると思う。

 作業の時はこのひと粒を片手でつまんだまま、くりくりくりっと手早く糸を巻き、必ず最後にキュウッと小気味のよい音を鳴らす。絹糸をぐいと引っ張って確実に小さな布の粒を締めつける音であるが、現実に考えてみると支えのない柔らかく小さな布の粒を糸でくくるという作業自体がとてつもなく難度が高く、並大抵の修練と技術力ではとうていなし得ないことに気づかされる。

 ご覧のようにこれが一寸(3.3センチ)の間に13個も並ぶのである。しかもいずれも大きさだけでなく、同じ力加減で締めつけられていなければならない。
 万一、一箇所でもどこかが緩んでいたり大きさが異なっていると全ては台無しとなる。
 そしてそんな工程を同じ調子で面に仕上げたものが『本疋田(ほんひった)絞り』と呼ばれる技法であり、一枚の着物全てに施したものが『総絞り』である。
 この手法では、どれほどの熟練工でも一日に一列、わずか十数センチ分しか絞る事ができない、と案内の男性は仰った。
 そうして
総絞りで振袖一着分に作られる絞りの数は約210,000……二十一万粒。想像を絶する作業である。

 のちに少しでも迅速化するために『機械絞り』という技術が考えられた。
 そんな名前なので器用でアタマの良い日本人の事、てっきり魔法みたいに自動化された機械があるのかと思いきや、手でつまみ出す代わりに絞りの先端部分を小さなかぎ針に引っかけるだけで、あとのすそ野部分に糸を巻く作業は同じなのである。
 上の二番目の画像で紫地の着物の小母さんが木製の棒を使っているのがその手法であるが、ご覧のように機械でもなんでもない。単なる器具、治具に過ぎない。
 かぎ針にひとつひとつ引っかけるだけでもずいぶん便利だというので『キカイ絞り』と呼ばれているのだそうだ。なんとも皮肉な呼称だが、やはり『本疋田(ほんひった)』と呼ばれる先の全部手作業の絞り方に比べると染まる先端部分は大きく、仕上がった印象もどこかシャープさに欠けて鈍いように思える。


 そして視聴室の外に展示された、絞り染めの逸物を見せていただく。あいにくそれらには意匠デザインの関係でここに掲載する事はできないが、筆者が見せて戴いたものは一般的な振袖なら三枚分、長さにして5mはあると思われるそれは、深紅の地色に赤い月と満開の桜をモチーフにした精緻にしてダイナミックな作品だった。もちろん、総絞りである。

「満月を背景に、池に映った円山公園の枝垂桜ですわ」と説明を戴く。ただ驚嘆するしかない美しさと迫力だ。

 上の画像は、絵はがきとして売っておられたものからスキャニングしたもの。着物ではなく、『几帳(きちょう)』と呼ばれる、本来はカーテンのように部屋の間仕切りや目隠しとして使われるものなので、これもとてつもなく大きなものだ。

 これが全体像。これもタイミングによってはちゃんと館内に展示され、見学する事ができるもの。

 そして今月の特別展示品という事で、ウエディングドレスも展示してあった。
 純白の総絞り。想像できるであろうか。ひとつひとつ手作業で、ウエディングドレスなので染めないのが前提である。寸法のズレや力加減のムラひとつで台無しになるというのに、まだその上シミひとつ許されないのである。
 どう消極的に考えても軽々と超ギネス級な技術だが、世界中探しても他に競える者がない以上、あの著名な本に載る事さえない。なんと勿体ない事か。
 こうして毎月のように、何らかの逸品を展示されているとの事。
 入館料として¥500が要るが、お座なりの寺の意味不明な庭を見て「しまった」と溜息するくらいなら筆者はここの美術品を眺めて「なんと美しい」と溜息する方がよほど心の肥やしになると思う。

 それらはここでは掲載できないが、公式サイトには小さい写真ながら垣間見る事ができる(http://shibori.jp/collection.htm)のでそちらをコンテンツの借景としたい。

 だが、凄まじいのは完成した作品だけではない。


 これは染め終えた後に解かれた糸である。きつく締めてあったために糸は巻かれていた時の形状を覚えているために見事にカールして、墨染めのこの糸は一見まるで“ふぐの皮”のようにさえ見える。
 許可を貰って引っ張ってみると、いくらでも長く伸びてゆく。これは絹糸だから七回巻いたものなので、解けば単純計算でも軽く五倍以上の長さまで伸びるのである。

 同時に糸を解かれた布も、本来の大きさに戻ってウソみたいに大きく拡がる。
 糸を解く前の状態で手にさせて戴いたが、驚くほどズシリと重い。藍染めの刺し子どころではなかった。手にした感触は絹織物のそれでありながら、鉛でも縫い込んであるかのようだ。

 こうして、気の遠くなるような作業を繰り返して絞って、絞って、また絞り、何度も何度も丁寧に染め、そして最後に糸をすべてほどく。なんと根気と集中力の要る技術だろうか。
 当然そういう性質のものだ。ひとりで一着を絞ると到底一年などではできない。逆に何人かで絞ると、ひとりでも調子が違うと台無しになってしまう。
 もちろん一人でやっていても集中が途切れたり、一箇所でもしくじるとそれもまた台無しになる。


 ミスが許されない、失敗を取り返すことができない上に、作業は果てしもない。
 こんな過酷な作業を行う人、行える人はもう今おられる、年齢を重ねられたお年寄りの技術者数人のみだという。
 そしてあまりにも過酷な作業なため、後継者もいない。なによりもこれ程の技術でありながら、これだけ作っていても生活できないのである。

 いやらしい話になるが、家のローンや家賃を払いながら四人家族がなんとか普通の生活ができる月収を30万として、年収360万、だが一着の総絞りの着物を仕上げるのにひとりのベテラン技術者が2年要するとすると、その一着は単純計算で720万円の価格がないとどうしようもないのだ。

 つまり。現状では今がんばっておられる方々が作っているものが、世界で、この歴史で最後の作品となる運命である。

 一度失われた伝統の技術は二度と戻る事はない。
 伝統工芸士という肩書きがあっても、政府が決めた単なる資格に過ぎず、人間国宝指定のような援助金(といっても生活の足しにもならないそうだが)ですらもなく、むしろ資格を取得するためにおそろしくお金と時間と手間が掛かるのだそうだ。
 哀しいかな、我が国は世界でも希有なハイレベルな技術者を抱えながら、国がそれを政治的にも金銭的にも援助奨励したのは安土桃山時代までなのである。
 あとはひとりでも多く、この驚愕の技術の鬼気迫る凄みを知って戴いて、少しでも命脈を保ってゆけるよう祈り協力して貰うしか道は残っていないのである。

 絞り染めの体験もできるが、筆者は案内をしてくださった方に「あの技術紹介のビデオこそ、サイトでガンガン動画配信されては如何ですか」とそそのかした。
 あのビデオ、特に絞りの工程は誰もが目を見張る。見張らずにはいられない凄みがある。
 ましていま動画サイトは一番の旬であり、多くの人が毎日「何か面白い動画はないか」と虎視眈々なのである。
 アレを見たら日本人はもちろん、世界中の日本ファンが絞り染めを放っておかない。そして日本は不景気でも、世界にはカネの使い道に困っている人間も多数いると思う。
 このコンテンツをご覧になった方はぜひ『京都絞り工芸館』のサイトから要望を提出して欲しいし、京都を訪れた方、まして芸術系に少しでも足を突っ込んでおられる方はぜひ一度は訪れてあちこちに紹介して頂きたい。

 筆者も日本人としてなにかせずにはいられない。哀しいかな、資金援助ができないのだが。

 なお、2009年10月末日からクリスマスイブまでは、上の写真の巨大な几帳(きちょう)『紅葉のライトアップ』が実際に観られるとの事。画像は館内で売っている絵はがきからスキャンしたので実際の色調はもっともっと艶やかなはずである。
 ちなみに一度訪れてパンフレットを戴き、それを提示すると次回から入館料が¥400になる。

 だが広告系の立場から勝手な事を言わせて頂ければ、せっかくのリピーター優遇策、こうした絞りの工芸品をあと数点でよいからもう少し多く常設展示して戴きたいものである。人間欲張りにできている。一点一点が素晴らしいだけに、さらなる満腹感を得るほどの点数にお目に掛かりたいとついつい思ってしまうからだ。
 そうすれば美術ギャラリーとしてももっと訪れる楽しみができるというものだが、如何なものだろうか。

 先ほども記した公式サイトのコレクションコンテンツにある程度写真は載っているが、油絵や水彩画同様に着物、まして絞り染めは実物を観る以上に作品を知る事はできない。
 しかも画や一般的な染物・織物と異なり、絞り染めは目一杯離れて全体の美を楽しみ、ぐぐっと寄って細部の表現の美を楽しむことのできる立体の絵画美術なのである。

 ここに掲載した画像はすべて事前に『京都絞り工芸館』様の許可をいただきました。


『京都絞り工芸館(http://shibori.jp/koutei.htm)』公式サイトはこちら→■■■


▼京都絞り工芸館付近の地図はこちらから▼