筆者は調子に乗って、あれは?これは?と質問のしっぱなしだった。幸いその時は他に客はいなかったものの、ほんとうに微に入り細に入ったお話を聞かせていただいた。その間、軽く小一時間。なのに、まだまだ「あ、あれも、これもあることに気づかなかった」玩具があることに気づく。
ひとつひとつが魅力的であり、それに見入っているとすぐそばにまた異なる魅力ある玩具がある事に気づかないのだ。そして、一度眼を放して見回すとまた見つかる、といった塩梅だ。ようするに楽しみの尽きる事のないワンダーランドである。
説明を受けて納得した事が多々ある。というか、何を聴いてもなるほどと感心する事ばかりなのだ。
子供が遊ぶからということで、たいていの部品には面取りがしてある。どんなに小さな部品でもおろそかにはしない。だが安全規準を法律で決めているというより、そこにあるのは弱者に対する思いやりの心である。
そういえば先に書いた筆者の祖父がこしらえた木の電車も、ずっしりと重いが全くないに等しいくらい見事にカドが削られ、磨かれていた。
しかし面白い例がある。
厚さ2mm、一片が3×4cmほどの板きれで、それぞれ木目を活かした色で染められたのちに、真ん中に小さな穴を穿たれた玩具のセットがある。これにはA6サイズくらいの分厚いコルク板と虫ピンのようなクギ、そして木でできた細工用のような可愛いトンカチがついている。手に取ると、板きれはどれも表面がなめらかで、丁寧にカドが磨かれていてなんとも優しい手触りだ。
「試してみてください」と勧められるまま、この穴にクギを入れてコルク板に打ち込むと、軽やかで音こそ小さいが、まるで大工仕事でもしているかのような見事な響きがする。とくにクギを頭まで打ち込むフィニッシュ時がいい。
もちろん土台がコルクなので容易に抜けるが、このコルクも密度の高い上質のものなのでボロボロになる事もなさそうだ。
クギの長さは3cm程なのでオトナがつまむには厳しいものがあるから完全に子供用だが、イマドキの考え方で行くと『子供が遊ぶ玩具に金属のクギなんて危険ではないか』と思う。
実際、筆者も「えっ。本物のクギか」と驚いた。
だがよくよく考えると、玩具で遊んでいる幼い子供を放置などしない、という当たり前の事が前提なのである。見守るのがオトナの義務や責任であり、同時にそうして遊んでいる子供を見守る事こそがオトナの楽しみなのだから。
遊びの中で工夫や危険の有無を学ぶのである。
日本には子供の安全を守ると称して、テーブルのカドをカバーするゴムや尖った部分のない刃物など奇妙なものが多々あるが、筆者には、我が国が考える“安全”にはどこか勘違いがあるように思えてならない。
本当の意味での教育のあり方を考えさせられる玩具である。