毎年、桜はこれでもかとばかりに咲き誇る。鑑賞する側は「綺麗やなあ」のひとことだが、そのひとことを得るために、どれほど丹精され手入れされてきたことだろうか。
植物はおそろしいばかりに正直で、しかも気が長い。やるべき世話を怠ったら数年後に結果となって現れる。今日怠けても、次の年には許してくれているかのように見えるのだが、その次の年には急にガクリと来る。
一体、どうしたのだろうかと考えてみると、数年前にちゃんと世話をしていなかったことに気づくのだ。
まるで「あの時あんた、わたしをほったらかしにして浮気してたでしょう?」と責めるようでもある。
それは冗談としても、やるべきことをやるべき時期に、適宜行なわないとベストのコンディションは保てない。
これは老木でなくても同じで、若々しい樹でもほったらかしでは桜は年々花を減らす。肥料が足りないとか、水の過不足、天候不順だとかの単純な理由ではない。それぞれが複雑に絡み合って結果として表れるのである。
プロはそのそれぞれの微妙な差を見切って、日々の世話の中で調整して行くのだ。
梅と違って、ハサミを入れるなと言われるのが桜だが、だからといって放任していてはこれほどには花を付けない。枝は徒長し、ひとつひとつの枝に芽生える花芽は減ってゆき、やがて枝が見えるほどにまばらになって、寂しくしょぼくれた樹になって行くのだ。幹は数十年の刻を経ていても、枝は若く活力に満ちた状態を保つ必要があるからだ。
だから「ここの桜は毎年見事な花を咲かせるねんで」というひと言の裏には、不屈の努力と深い愛情が込められてきた日々があるのである。そして、だからこそこの桜は今年だけの、一期一会の出逢いなのである。
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