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 筆者がまだ京都に思い入れがなく、東山どころか二年坂と産寧坂の区別もつかなかった頃。

『八坂の塔』の名だけは何かで聞いていたが、ながらく名前と実物とが合致しないままだった。
 それでもさすがに八坂神社くらいは何度か行ったことがあったので、その奥の公園(もちろん円山公園だが当時はそれも知らなかった)かそのあたりに建っている塔があるんやろな…などと漠然とした認識しかなかった。

 もちろん、間違っている。

 さらに、本当の八坂の塔からほど遠くない所に、祇園祭の鉾を模したデザインの塔がある。実は塔ではなく、祇園閣(ぎおんかく)と呼ばれる、大雲院というお寺所有の建物なのだが、見た目が鉾もどきなので子供の私には塔に見えた。
 これが親戚への用事ありきで親に連れられての京都行きで、道順も解ってない頃に何度か見かけたのが強く印象に残っているものだから、長い間それが『八坂の塔』だと思っていたわけだ。

 この塔、かなり巨大で、今でもご覧のように突出した独特な雰囲気をあたりに放っているが、樹木や建物がもっと低かったはずの当時は、いまよりもっと近辺のどこからでもこの青銅色の屋根が見え隠れしたのではないか。
 子供心にも結構インパクトがあった。今回何十年ぶりに確認したが、幼い頃の筆者が見上げていたのと同じアングルでの撮影を狙おうとしたものの、記憶の場所には軽く10mはありそうな、嘘のように背の高い生け垣にすっかり覆われていてまったく見えなくなっているのには驚いた。
 なんとか近くからちゃんと捉えようとして、空へ突き出た避雷針?を目当てに高台寺付近の道を何度となく行き来したが、不思議なことにどう回り込んでも近くに行けない。まるで筆者を拒むが如しだったんで気分を害したので諦めた。
 後で知ったが、どうやらこの祇園閣は上に登る事ができるらしいので、いずれ必ず入り口を見つけて試してみたい。

 それはともかく、実際の『八坂の塔』はというと実に分かりやすい場所にある。(ページ下端のGoogleまたはYahooのマップリンクをご利用いただきたい)

 東大路五條から四條にかけて数本の坂がある。そもそも『八坂』の名の由来はこの辺にあるのだろうが、ネットごときで調べた程度では確証を得られなかった。
 一節には渡来系の“八坂氏”が住んだため、ともあるが、坂のある街に“ナントカ坂さん”がそうそう都合良く、しかも外国人でそんな姓の人が住みつくとも考えにくい。まして渡来人でそんな苗字が?と首をかしげずにいられない。
 ニワトリタマゴの理屈ではないが、たとえば藤原氏の一門だが家に赤い橋があったから“赤橋”氏と呼ばれるようになった…みたいなものではないか、とも考える次第である。いずれにせよ推測の域を出ない。

 そのうち安井金比羅宮があるあたり。他に比べてやや狭いめの道幅の坂を覗き込むようにして見上げると、きゅっと小高い山側へと上がる坂の途中に、まさに“絵に描いたような”構図で出迎えてくれるのがこの『八坂の塔』だ。


 トップ絵をご覧になるとお分かりのように、両脇に並ぶ店の風情も手伝って、とにかくここは絵になる。ここ数十年の間に多少は入れ替わって新しい店もあるが、昔から商売されているお店が多いのでシックな京都らしい建物がこの風景を支えている。

なりそうな構図を探すと、必ず目に入るのが小さいが鮮やかなぬいぐるみのオブジェ『くくり猿』である。

 八坂の塔が見えるあたりの家々を見ると、軒先ごとに、一見オブジェと見間違うほどシンプルに図案化された小さな小さな縫いぐるみが下げてあることに気づく。

 これは『くくり猿』である。よく他地方の観光客──ときに関西人でも──が「これは“猿ぼぼ”やで」と同行している人に説明しているのを耳にする。

 しかしこれは間違っている。ルーツ的には同じ『庚申(こうしん)信仰』に根ざす魔よけだと思われるが、“猿ぼぼ”は飛騨高山あたりのスタイルのものを指し、そちらはバンザイのオープンなポーズをしている。
 いっぽう、奈良や京都のものはヨガのポーズのように閉じている。欲望のままにいたずらしまくるおサルを戒めるために手足をくくってある状態を表したもの。なので呼び名もあくまで
『くくり猿』である。


  面白いのはこの『くくり猿』の効能で、普通は神様仏様への願い事というのは「〜したい」とか「〜が叶いますよう」みたいな「give」、すなわち自分のなんらかの希望を叶えてくれという欲望を託すものなのだが、このくくり猿は少し違う。
 その姿のままに、人間の中の欲望を戒めるための祈願なのである。
 つまり自分の弱いところ、ヘタレなところにカツを入れるのが目的なのだ。なんとストイックな願かけだろうか。
 そして八坂の塔を訪れるにあたって忘れてはいけないのが『庚申堂』である。

 塔へ向かう坂の途中、八坂の塔のすぐ手前に、この『くくり猿』をいっぱい奉納してあるお寺さん、金剛寺庚申堂、通称『庚申(こうしん)さん』がある。

 この『ぶら旅』でも度々書いているように、どういうわけか人は数人のグループで観光に来るとお喋りに夢中になって、互いの顔しか目に入らなくなるものらしい。

 しかしその“法則”のおかげで、牛歩戦術のように込み合う有名処でも嘘のように人の少ない真空地帯が生まれるのであるが、まさにこの『庚申さん』がそういうスポットだ。

 どんなにこの狭い坂道を大勢の観光客が塔目指して、またその先の二年坂やねねの道を目指してえっちらおっちら、ワッショイワッショイと昇ってゆこうとも、何故かこの庚申さんに気づいて絶ちよる人は少ない。

 もちろん多少目ざとい人はお堂に吊られた無数のくくり猿の艶やかさに惹かれて入ってくるが、けして多くはない。

『日本最初庚申尊』という天然石まるままな石碑を左に据えられ、『見ざる、言わざる、聞かざる』が屋根に掲げられた瀟洒な門をくぐると、こぢんまりした正面には庚申さんがいっぱい下げられた艶やかな堂が目に入る。
 意味が分かってるのか解ってないのか、美しさに惹かれた外人観光客やらカメラ付き携帯電話を構えた観光客が必ずといっていいほどニコニコと撮影している。

 面白いのは、無数に奉納されたくくり猿にびっしりと書き込まれた願い事。行儀悪いのを承知で、ためしにひとつふたつ覗き見させていただくと良い。欲に駆られた自らに向けた“戒め”を書くどころか、まったくフツーの願かけを『くくり猿』の小さな背中が埋め尽くされるほど欲望のありったけを書いている人がほとんどである。

 ああ、人間とはなんと浅ましくて可愛いものか。


 ところで筆者は昼間に八坂の塔=法観寺を訪れたのは数回しかない。昼の姿を撮影したのもこれが初めてである。

 というのも、筆者にとってこのあたりは京都観光のしめくくりである買い物スポットである錦市場に近いからだ。適当にオカズなどを買って、京阪電車へ乗り込もうとコース取りすると自然にこのあたりが夕暮れ時のフィニッシュになるのである。
 実際、観光客の脚が駅へ、帰路へと向かう夕暮れ時になるとこのあたりは人通りが落ち着いて、また人通りがあったとしても夕闇に紛れて絵ヅラ的にも邪魔にならない。

 そして東山ということは、西へ沈む夕陽が塔を照らしだし、さらにえも言えぬ美しさを演出してくれるので、ただこの坂にいるだけでも感動してしまうのだ。

 桜の頃などは街路に灯りなども置かれたり、さきの庚申堂も提灯に灯が入るだけで泣けそうな風情を醸し出す。
 ちなみにこのライトアップは桜の頃、3月21日の撮影である。
 この日はふだん閉めっぱなしだったり、開いてても16時には閉め出される八坂の塔も延長戦で開放され、第一層に安置されたホトケさん(なんとか明王様らしい)敷地内では町内の方たちの運営による甘酒やら草餅の簡単な屋台が出ていた。

 ただし個人的には、どうにもライトアップがわざとらしく思えてならず、いまいち好きになれない。
 筆者はイルミネーションフェチである。深海の生き物が、夜行性の昆虫が吸い寄せられるように、明滅する光が大好きだが、こと京都の神社仏閣ほどライトアップの似合わない建物はないと思っている。似合うとしたら、せいぜい灯明の色に似たタングステン電球までである。サーチライトや派手な色の証明などは風情ぶち壊し、無粋以外の何ものでもない。

 日没と共に闇にシルエットと化してゆく古塔のたたずまいの方が遥かに美しいと思うのは偏屈な筆者の狭量的なワガママだろうか。

 寺社仏閣仏像にはほとんど興味のない筆者なので詳しい説明は余所をお調べ願いたいが、この宝輪まで入れると40mもあるという五重塔の土台だか芯柱だかは飛鳥時代のものだとか。当時の京都すなわち山城の国はまったく未開発のド田舎、どんなだったろうかと思い巡らせるのも面白い。

 これは足もとだけを数々の灯篭で飾った『花灯籠』の時のもの。やはり橙色の灯りがもっとも京の町には似合う 。
 夕闇に溶け込みゆく五重塔のなんと幽玄でおごそかな事か。毎年、清水寺などはライトアップと称してギンギンのサーチライトをあらぬ方へ飛ばしているが、悪趣味とはああいうのを言うのだと思う。
 エコもエセ環境なんちゃら運動も結構だが、2011年現在、LEDは所詮ランプや電球の色気にはかなわない。100歩譲って電球色蛍光灯までであろう。

 夕闇せまる京都ほど、色気のある街のすがたはない。京都に宿泊できるなら、また日が沈むまで居る事を許される余裕があるなら、絶対にこの風情あるたたずまいを堪能して貰いたいものだ。───もちろんここでよく見かける舞妓はんは、観光客のコスプレであるが、それでも“枯れ木も山の賑わい”、造花でも壁の飾りにはなるというものである。

 ともあれ、このわずか150mほどと短めでありながら、ここほど筆者の好きな坂道の風景は他にない。

▼八坂の塔近辺の地図はこちらから▼