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『ぶら旅』を続けて9年経つ2010年時点で、まず、北野天満宮にこんなスポットがあることは長い間知らなかった。

 それもそのはず、2005年まで長い間ここは一般公開すらしていなかったのである。北野天満宮といえば有料の梅林は昔から有名だが、秋にもひと儲け企むとは実にたくましいもんやな、とシャクに思ったものだ。
 しかし文句を垂れるのは、一度くらいは観てからでないと仁義に反するだろう、とも考えた。

 そんなわけで鳥居の左手にしつらえられた特設の入苑口で大人600円也の“特別”入苑料を泣く泣く払って入ってゆくと、近くの上七軒で店を出している老舗和菓子舗の『老松』が茶店を出していた。

 入苑料にはこの茶店での茶菓代が含まれている。嬉しいようなそうでないような、茶菓は要らないから入苑料を半額とかにしてくれた方が筆者はありがたい。
 もっとも、さすが老松の茶菓は旨かったのだが、それは後述にて。

 到着時すでにご覧の有様なので茶菓は後にして、まず観楓(かんぷう)という目的を果たすべく、先に進むことにした。

 そも、御土居(おどい)とはなにか。

 御土居(おどい)と聴いて、ああ、あれね、とお分かりになる京都ファンは相当なレベルだと思う。
 なぜなら、名所旧跡の多い京都といえども、これほど意味のなさそうで面白味のない“遺構”もなかろう、と思うからだ。
 だって、要するにただの“巨大なドテ”なのだから。

 上の案内看板の写真をご覧戴きたい。赤線の部分がそうなのだが、御土居とは、かの豊臣秀吉が聚楽第造営の頃に、洛中の警護などの便宜のために、洛中をぐるりと取り囲むかたちで高々と盛り上げられた総延長22.5kmに及ぶ土塁…つまり土を他の部材を含めて盛り上げた人工の城壁のようなものである。

 土塁と言っても、残っているものを実際に見ると土台の幅20m、頂部で幅5m前後、高低差も5mもある断面が台形の、かなり大がかりな構造物だ。
 おそらくは土の固定化のためと美観のために、頂部には竹が植えられていたという。

 いずれもご当人による理由付けの書類などがないためにその目的は諸説あるが、筆者が愚考するに、天下を平定し、仮想的としては東の家康のみ、しかもいくら首都とは言っても京都の公家など単なる権威の装飾品になった秀吉にとって、そんなものが果たして本当に必要だったのか、土木工事フェチだった彼の戯れのひとつだったのかは判らない。

 いずれにせよ、その後住環境や区画整理の必要に応じて取り崩され、今では“単なる土塁”が洛中外縁部の寂れたあたりに部分的に残っているだけだ。

 そんな中、北野天満宮に聴き馴染みのない紅葉スポットがあると聴き、御土居の名前が出た時にそれぞれの関連性は筆者の中ではまったく結びつかなかった。

 いちおう、御土居の西の果てが『紙屋川(かみやがわ)』に沿って造られていて、紙屋川が鷹ヶ峯から北野天満宮へと流れている事は知っていたが、北野天満宮のあたりは川がすっかり隠れてしまっているのでまさかこんな谷間があろうとは思いもしなかった。

 つまり、他の部分では御土居は見上げるような巨大なドテではあっても、北野天満宮のあたりでは“なんとなく小高い坂になったドテ”…いや、ドテとさえも感じない。
 実際、自然な斜面を少し登るとご覧のような看板が出てきて、あ、この道が御土居のてっぺんかと思うと、左手下に樹々が植わった谷が拡がっているという塩梅だ。

 ようするに、ちょうど御土居の上に出るかたちになる。能楽なども奉納するらしく、ライトアップ装置すら備えた真新しい舞台がしつらえられてあった。

 なるほど、身を乗り出すと、御土居の上から紙屋川が流れる谷を見下ろす構図だ。
 コースとしては、御土居上から階段をたどって紙屋川が流れる谷へと下りてゆく。
 谷の楓もなかなか立派だが、御土居の上にも大きなな樹が生えている。
 樹齢などは判らないし、さすがに太閤存命の頃の樹があろうとは思えないが、たしかに百年二百年はほっとかないとこの大きさにはなるまい。

 しかし、あいにくここ数年つづきの酷暑のせいであろう、どうしても楓の色は冴えない。もっともこれは京都全般に言えることで、比叡山ほど高い所まで上がらないかぎり、平地ではもう黒々と感じられるほどに濃い紅色には逢えないのではないだろうか。

 落葉生広葉樹が鮮やかな黄色や紅色になるには、あくまで春・夏にいっぱい幹から水と養分を吸い上げて元気に光合成し続けた健康な葉っぱでなければならない。
 葉の先が縮れるほど、何度も水不足に遭った樹では、まず美しく冴えた紅葉にはなりえない。せいぜい“とりあえず赤い”といったレベルが関の山だ。

 ここ数年、このコンテンツにもアップしている紅葉風景が、赤、紅、というよりも、朱色や橙や朱鷺(とき)色どまりなのはそのせいだと愚考する。

 温暖化云々のせいだ、などと短絡思考はしたくないが、そのせいにでもしないと毎年のガッカリの気持ちを納得させる術が思いつかないのも事実だ。

 ともあれ、それでも樹々は毎年それなりのショウアップをしてくれる。

 この撮影は2010年11月20日。木枯らし一号も吹き、関東では朝夕はそこそこ冷え込み始め、場所によっては紅葉も始まっている頃だろうが、京都ではご覧のように秋色どころか、皆目染まっていないことがお判りかと思う。

 しかし現実に、本当の秋たけなわの頃よりも、10月末や11月前半のように、秋色が始まったばかりの方が観光客が多いのである。それというのもやはりマスゴミが確信犯的にフライングばかりするからだろう。

 10月半ばになると文字通り口を揃えて一斉に「京都は秋真っ盛りですよ、早く訪れないと散ってしまいますよ…」とさえずり始める一般マスゴミのように、実は全く色づいてもいないのにもかかわらず、特に美しく色づいた部分を切り取るように構図を選べば、ご覧のようにそこそこ『秋たけなわ』の雰囲気は出せる。

 しかし現実の10月後半、比叡山や鞍馬のような山ならいざ知らず、平地ではひとつ上の写真のように八割がまだ緑の夏色のまんまなのが普通である。

 旅行キャンペーンとタイアップした企業にだまされてはいけない。やはり現状では12月に入ってからの方がもう少しましな、いわゆる“秋らしい京都”が見られるような気がする。

 最後に入り口で陣取っていた茶店版『老松』で出された茶菓について。

 毎年…というか日によってどんな茶菓が出されているかは分からないが、この時は『北野 大茶湯』という菓子だった。
 “北野”の右上に白で書かれているのは『ふのやき』の文字。
 かの千利休が客に出したというお菓子を今風にアレンジしたものだそう。

 ふのやき、とはウィキって見た限りでは、どうやら今で言うパンケーキのようなものらしい。
 オリジナルとはおそらく似ても似つかないくらいに凝った美味しいお菓子なのだろうが、美味しかったのは確かである。ただし、茶はほうじ茶で残念なレベルではあったが。


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