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さて、お目当てというか、この時のメイン散策スポットはここである。
ず〜っと気になっていたが微妙な位置関係からコースに組みにくい場所にある上に、ながらく稀代の陰陽師(おんみょうじ)“安部清明(あべのせいめい)”ブームが繰り返されてきたために、いつまでたってもマスゴミから注目され続け、結果として観光客が引きを切らなかったのが、あえて避けてきた理由だ。
さすがにもう以前ほどテレビにも露出しないし、妖怪スポットや風水ブームも去ってそろそろ大丈夫だろうと思って訪れたのだが、それでもやはり総本家の人気はまだまだ衰えてなどいなかった。
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そんなわけで筆者も実際に訪れたのはこれが初めてである。
だが、いざ来てみると実に奇妙な観光スポットだと感じる。
特徴的な庭園があるでなし、ゆったり憩える境内というほどでなく、失礼ながら美術的はたまた歴史的価値のある建物があるようでもない。
訪れた日に掲げられていた張り紙に依れば、神社の紋である『五芒星形』に似ていることから、桔梗の花の庭があるらしいが、あいにく時間の都合上で見ていない。
そうこうするうちにも、本殿より広いのではないかと思われる隣設の駐車場には、次から次へと大型観光バスが乗りつけてきては、老若の歴女の群れをどっさりと下ろしてゆく。
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これがかの博物学の大家、荒俣宏大先生がかつて“陰陽師(おんみょうじ)”なる奇異な商売の存在を現代に知らしめ、その後にキャラクターとして独り歩きを始めた希代の陰陽師・安部清明は、ファンタジーだのコミックだのアニメだの映画だのになって、大活躍した結果である。
つまりその陰陽師のスーパーヒーロー、安部清明(あべのせいめい)そのキャラクターの魅力だけでこの神社の参拝客は引きも切らないのである。
左が、本殿手前にしつらえられた陰陽師・安部清明の銅像である。誰をモデルにしたものか、あいにく当たり役を取った野村萬斎氏にも稲垣吾郎氏にも似ていない…当然だが。
ついでに、あべのせいめい、とは呼び親しんでいるが、ウィキに依ればじつは“はるあきら”なのか“はるあき”なのかも確定していないのだそうだ。
……さすがに40年前のガイドブックには今ほどの取り上げ方はされていない。
当時の写真を見る限りでは、それなりに鄙び、近隣の信心深げな年寄りがお参りする、一般的な神社の趣に見える。
もちろん当時も神社がしつらえられたいにしえの頃も、陰陽師や占い師などのオカルティックな商売を営む人達の総本山だったのだろう。
しかしやはりマニアック向けから大メジャー化への劇的な変化は、間違いなく安部清明が色々な怪奇譚や少女系のコミックの主人公になって魔物相手に大活躍してからの現象であろう。
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そんなわけでオカルトファンにとってのメッカでもある。
しかし神社を語るのに、あまりそっち方面で話を進めるとバチが当たるかも知れないが、特撮ファンがひと目見ると「おおっ」と思うのが、安部清明紋または安部清明判と呼ばれる『五芒星形』だ。
これを見てウルトラマンに登場する科学特捜隊のシンボル、流星マークを連想しない人は特撮ファンではない。
とはいえ、失礼ながら、実はもう境内にはほとんど見て面白そうなものがない。
せいぜい先に載せた安部清明さんの像と、なでると厄除けになると言う、『厄除け桃』なる置物と、風水に則ったしかけのある井戸があるくらいに思う。
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これがその井戸。
説明文によると、『御祭神清明公邸に古より湧き出ていた洛中名水の一で諸病平癒の信仰が篤い 流水口が本年の恵方を向いており吉祥水が得られる なお此処は茶道三千家の祖 千利休終焉の地で太閤秀吉に振舞ったり最期に自服した茶もこの聖水で点てたものであろう』とあった。
しかし妙に新しく、足もとも綺麗にデザイン化されて整えられているので逆にありがたみが薄いのが気になる所だ。こうなると湧き出ている水がたとえ本当に当時からのものだとしても、信じろと言う方が無理であろう。
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しかしさすが“おまじない”に通じる陰陽道だけに、お守りなどのグッズは実にバラエティに富んでいる。
まあそこそこ構えの大きな神社なら、社務所の広い間口いっぱいに様々なお守りが食玩専門店のカウンターよろしくズラッと並べられているものだが、一般的な神社以上に用途・目的別にデザインが揃っているのには脱帽である。
その中でひときわ目を引いたのが下の左のお守りである。
まさに『流星マーク』。
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微妙にアレンジしてあるのはやはり版権に対する配慮だろうか。
デザインなどの“商品企画”をするのが宮司さんなのか禰宜(ねぎ)さんなのか判らないが、世代的には筆者と大差ないはずだから、流星マークを知らないワケはありえないのだ。
そして先のカウンターの写真の真ん中をよくご覧戴きたい。お守りとは思えない謡い文句が別のにさらっと書かれている。
『ききょう守は本日限りです』……つまり、『季節限定』というやつである。
本当に霊験があるのかどうかは苦笑するしかないが、手づくり風クラフトとしてたしかに美しいデザインだし、可愛いので買ってしまった。
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……たしかに、妙に絵になるお守りだと思われないか?
別な意味でもったいなくてどっちも使わずに飾っている。ありがたいんだか、そうでないんだか。
しかしその霊験がさっそくあったのか、じつは筆者の興味は、この神社は勿論だが、それよりもこの神社の近くにある…あったというべきか…『一条戻り橋』に強く惹かれていた事はもうひとつの記事に述べた。
そして新しく立派だが、いかつい雰囲気になってしまってて残念に思ったことも。
ところが先代の『一条戻り橋』はここ安部清明神社の境内入口横の庭に移転し遺してあったのである。
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えっ。わずかに一人がようやく通れる程度の幅しかない。えらく小さくないか……?と思ったが、横の高札によるとたしかに本物だという。
半信半疑だったが、この記事を書くために何度も見直してようやく分かった。
まさに『一条』と『戻橋』と刻まれた欄干のみがオリジナルで、手すり部分や橋本体はここに移設してからのものだったのだ。贅沢は言えないが、あのいかにも大正時代らしいデザインの、鉄の手すりごと移設して欲しかったと思う。
それどころか、よく見ていただくとお分かりだろう。
『戻橋』の横には、『式神』と称してなにやらユーモラスな像さえしつらえてあったセンスには、なにやらもう“観光用”という毒にすっかり犯されてしまったようで、苦笑するしかなかった。
なにも渋好みばかりが京都の寺社だとは思わないが、現代風に則すにしても、やはりそこには某かの情緒や情感を漂わせるセンスというものが必要なのではないだろうか。まして、この世とあの世を繋ぐ様々な物の怪や現象を公務として取り扱ったプロの住もうた家の上に作られた神社である。
神を最も信じないのは宗教家である、という名言を思い出してしまって、少し哀しい思いをした。
もう陽も傾いて、寺なら閉門する時間にさしかかっていたが、さすが神社はその点フランクだからか、またやってきた観光バスからはたぶんその日最後の観光客達が降りてきた。
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▼清明神社周辺の地図はこちらから▼
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