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きょうのあか/その三“せきざんぜんいん”
 神様、仏様…とは、寺や神社とは違った場所で困ったときや願い事をするときに唱える、日本人独特のお祈りの枕詞(まくらことば)だ。この辺の感覚は欧米人には理解しがたいらしいが、じつは日本において神様というのはあちらでいう精霊に近い。
 政治が絡むとどうもこの辺が誤解されて問題になるが、日本においての“神”はひとりではない。

 ざっと数えて、やおよろず〜八百万だからちょっとした都市並みの人口、いや神(じん)口だが、天地創造ができるほどパワーはない。そのかわり日本中どこにでもいるし、石から樹木、草花に至るまでなんにでも宿っていて、自然の摂理にアダなすもの全てに公平にバチをあてる。

 ニュアンスは違うが、精霊を意味する英語“Sprit”を“魂”と訳することを思えば、あながち真意はたいして異ならないのではないか…と思うが、欧米人が土地に住む“Sprit”の為にイチイチほこらを建てて祀っている、という話は聞いたことがない。
 そういう意味ではネイティブ・アメリカン、イヌイット、アイヌ部族などのモンゴリアン、そしてDNA的には兄弟みたいなポリネシアン民族などの神様観には共通項を見いだせる。

 しかし欧米の場合は、彼らの怒りに触れた場合、日本では“バチが当たる”と恐れおののいてご馳走を備えたり処女を差し出したりして必死になだめにかかるのに対して、欧米では“仕返しされる”といって逆ギレし、むしろ根こそぎ退治するために戦闘モードに入るのである。

 それはともかく、明治維新まではその“神様&仏様”は同じ敷地内にいることが多々あった。いまでこそ寺と神社はまったく別系統、むしろライバル関係か何かに思えるが、寺に鳥居があって、神社に坊さんがいてもなんの不思議もなかったのだ。

 ここ赤山禅院もそうした神仏まぜこぜな寺のひとつで、院と呼ばれるからには天台宗の寺である。
 しかしその名の由来にあたる赤山明神をまつった神社でもあるのでちゃんと鳥居もあるし、メインの建物も本堂ではなく本殿と呼ばれる。
 左の写真は巨大な数珠による門。奇妙に見えるのはアクリルとおぼしき透明樹脂で風雨からカバーしているから。
 神仏共存だからこんなのもアリなのかどうかは分からないが。

 明治の寺社分離政策の際にも生き残ったのは、あの“風水”に関係していたからである。
 廃仏毀釈の暴風が吹き荒れていた文明開化の御代でも、さすがにここが京都御所の表鬼門にあたり、大昔からその方面の神様ともしても国中の信仰を集めていたからウカツに手を出せなかったのだそうだ。(創建西暦888年というからほとんど京の都そのものと同い年。)

 その証拠のひとつに本殿の屋根には魔除けの猿がのっかっている。(御所の鬼門にもこの魔除けの猿があることは大博学作家の荒俣 広氏が以前テレビの番組で取り上げていた)

 さて観光案内はこれくらいにして、ここが美しいカエデ並木でも有名であること、さらに時期によっては夕刻から縁日などもひらかれ賑わう地元の人の憩いの場所でもある、よく知られた寺(神社?)であるということを述べておきたい。
 筆者が訪れた晩秋の昼下がりもこの夜からの縁日(関西では夜店と呼ぶ)の準備で大勢の人が忙しく立ち働いていた。

 赤山禅院のある場所だが、宮内庁にハガキを出して予約しないと入れてもくれない『修学院離宮(ガードマンではなく警察官が守っているのでそうと判る。だから悪いことをすると撃たれる可能性もある?)』の北200メートル程の処にあるのだが、ぐるっと迂回しないと行けないのと、やや山道なので結構遠くに感じる。アクセスは叡山電鉄叡山本線・修学院駅からまっすぐ東にある鷺の森(さぎのもり)神社を抜けて行く道をオススメしたい。

 というのは、こちらもなかなかに由緒正しい神社なのだが、紅葉が見事なワリには立地的に地味なせいか、団体旅行などの害がなく、なかなかムードのあるスポットだからだ。
 鷺の森からはまっすぐ北上。音羽川を越え、修学院の総門を右手に見ながらさらに北上。住宅街を抜けると鳥居にぶつかる。あとは東へ道なりにゆくとよい。

 『ぶら旅流』では、こうしてシーズン中でも過度の人混みには出逢わずに美しい紅葉を観ることができるが、実は道を西にとると、詩仙堂や曼殊院の方へ向かうことになり、とんでもない人混みに出くわすことになる。
 あいにくシーズン中は殺人的混み方をする両寺院はとりあげていないが、それらを避けた静かな別ルートの楽しみ方はこのコンテンツ内の『八瀬から修学院〜その2〜』に詳しいので、ぜひご参考にされたい。

 話をもどそう。
 ここの参道をずっと奥までゆくと、赤く実るマンリョウが出迎えてくれるちいさな広場に出る。そこには赤い陶製の七福神がしつらえてあり、こじんまりとしたお堂のかたわらに不思議なモザイク模様で“赤山”と描かれ、ロウソクなどでおまつりしてあるガラスのケースがある。


 しかし近寄ってみるとこれが全部、七福神のひとり“福禄寿(ふくろくじゅ)”の小さな木でできた人形であり、赤い文字は彼らの後ろアタマだと気付く。

 実はここは福禄寿堂といって、福禄寿をメインに祭っていて、この人形もお守りとして社務所で売っているものだったのだ。

 アップ写真でも判ると思うが、これがなかなか可愛くて、お守りというよりは立派なキャラクターフィギュアである。よくよく観察しているとこれが境内の至る所にチョコナンと奉納されていたりするので、なかなかよく願いを叶えてくれるようである。
 マスコットといっても過言でないくらい可愛いので、おみやげにも最適…などと書くと不謹慎であろうか。

 それにしても日本人はいにしえからキャラクター人形が好きだったのだなあ〜と思いながら、前日の雨で濡れた石段をすべらないように気をつけつつ、ナウいお店などで賑わう白川通りへ向かうべく山を下りた。

▼赤山禅院周辺の地図はこちらから▼