それはともかく、明治維新まではその“神様&仏様”は同じ敷地内にいることが多々あった。いまでこそ寺と神社はまったく別系統、むしろライバル関係か何かに思えるが、寺に鳥居があって、神社に坊さんがいてもなんの不思議もなかったのだ。
ここ赤山禅院もそうした神仏まぜこぜな寺のひとつで、院と呼ばれるからには天台宗の寺である。
しかしその名の由来にあたる赤山明神をまつった神社でもあるのでちゃんと鳥居もあるし、メインの建物も本堂ではなく本殿と呼ばれる。
左の写真は巨大な数珠による門。奇妙に見えるのはアクリルとおぼしき透明樹脂で風雨からカバーしているから。
神仏共存だからこんなのもアリなのかどうかは分からないが。
明治の寺社分離政策の際にも生き残ったのは、あの“風水”に関係していたからである。
廃仏毀釈の暴風が吹き荒れていた文明開化の御代でも、さすがにここが京都御所の表鬼門にあたり、大昔からその方面の神様ともしても国中の信仰を集めていたからウカツに手を出せなかったのだそうだ。(創建西暦888年というからほとんど京の都そのものと同い年。)
その証拠のひとつに本殿の屋根には魔除けの猿がのっかっている。(御所の鬼門にもこの魔除けの猿があることは大博学作家の荒俣 広氏が以前テレビの番組で取り上げていた)