『ぶら旅』トップページへはまたはこちらから→ ■■■/*TOMZONE-S SHOWメインブログはこちら→■■■


まちやさがし 〜やなぎのばんばどうり そのいち〜
 そもそもこの『ぶら旅』のシリーズはその名の通り、な〜んにも考えないでぶらっと歩いていてふと立ち寄ったりしてたまたま見つけた素敵なスポットを紹介するものだったが、最近はちょっとなにかしら狙って京都を訪れたネタが多かったように思う。

 その点、今回紹介するこの“町屋さがし”では本当にそんな新発見が多かった。まさに原点に戻ったレポートをご覧頂きたい。

 前置きはこのくらいにして、まずは今回の基点となった柳馬場通の名前の由来から。

 そもそも京都の町名は錦小路、蛸薬師通、仏光寺通などその道のつきあたりにそのまんまな名前の寺社がある場合や、車屋町、両替町や麩屋町・寺町など「ああ、ここは昔車屋が多かったのか」といかにもなネーミングのものがある。ここ柳馬場通もそうだ。
 ただし少しヒネリが利いている。ここ柳馬場通には室町時代───1589年に柳の並木を周囲に植えた“二条柳町”という京都最大の色街(いろまち)が作られ、その小粋さからか「柳院」と呼ばれ親しまれたという。
 “柳”はそれでいいとして、では“馬場(ばんば)”は?というと、ずっと後の時代、秀吉が亡くなって安土桃山時代も終わりを告げた慶長9年の豊国祭臨時祭礼の時、ここで大規模な馬揃え(今で言う閲兵式や軍事パレード)があったことのなごりとか。

 土木マニアで大規模な区画整理の好きだった秀吉のおかげで引越やら家の建て直しなどをさんざん強いられた(京都の町屋最大の特徴“ウナギの寝床”建築は秀吉の「家の間口の大きさで課税する」に対抗して編み出されたトンチ的解決法である)当時の京都市民は、彼に対してあまり良い感情を持っていなかったとか何かで読んだと思うのだが、面白いのは彼がした大イベントに関しては京童(きょうわらべ)たちも結構気に入っていたのか各地になごりを残している。

 ちなみに華やかだった二条柳町は、家康の二条城造営によって六条に移転させられ、“六条柳町”の由来に。

 さて、肝心の“柳馬場通”はどこにあるかというと、南は五条通から始まり、四条、三条、御池、二条とまっすぐに北へつらぬいて(京都洛中だから当たり前だが)御所の南端で終わっている。ひとつ西の筋にずれると堺筋で、いまの御所の南正門の前にでるという位置関係である。実は御所も平安京時代のオリジナル御所とは場所からして異なるがそれはまた別の話。

 で、今回は四条と三条の間にある錦小路(京都っ子だった祖母は“にしこうじ”と呼んでいた)からスタートする。さっそくこれを読んで下さっている諸氏に今回大発見になったとっておきとも言える食事処を紹介しよう。

 正直、この店がいつからあるのか筆者は知らなかった。というよりも今回「町屋が観たい」というある女性のリクエストに応えようと調べものをしていて初めてその存在を知った次第である。

 これまで京都での食事、とくに昼食は結構困った。というのも、オモテ通りの店は割高の割にいい店があまり見つからず、かといって裏通りでは筆者自慢の“美味い店センサー”がビビッと来るのがなかなかなかったからだ。

 ところが。この『萬(よろず)』は本当に掘り出し物だった。実はこの柳馬場通、筆者は何度も何度も通っている。しかし、店のスタッフには悪いが、場所が見落としやすくて目立たないのである。写真を見ると解るように地味な提灯以外はあまりにも“ひっこんで”いるので、地図を見ながら探したのにぐるっと周囲を一周したほどである。
 だがそのおかげで無粋な客に侵食されることもなく、この店の良さを知る人だけがリピーターでやってくるというウレシイこととなった。とはいえこの店はべつに年寄りがやっているひなびた店ではなく、建物の中味はつくりこそ町屋のパーツを使ってはいるがスタッフはみんな元気で&おねえさんだ。


 初夏の陽射しすら射し込まないほど奥にあるその店の玄関にはいると若くて元気なお姉ちゃんが出迎えてくれた。うす暗いのでぶれてしまったが、脱いだ履き物を入れたのは年代物のタンスだったりする。

 磨き上げられた床はひんやりと気持ちいい。掘りゴタツ風のカウンター席へ座ると厨房も丸見え。けっして広いとは言えないキッチンにイカニモ和食の板さん!が三人、それぞれてきぱきと包丁でさばき、煮物をし、手際よく炒め物を…はなんと中華鍋。実にスピーディーに調理して行くサマは日本料理と言うより中華のノリ。しかもみんな“ててかむ(手を咬むほどイキがいい、という関西古典的表現)”若さのなかなかオットコマエなお兄さんである。


 着席するとお茶が出されるのは相場だが、なんと『萬』ではキンキンに冷えたボルドースタイルのワインボトルに入って出てきた。ちょっと驚いたが、これならイチイチ「茶くれ〜」といわなくてもいいし、ワインの瓶はぬるくなりにくい。ユニークだが論理的である。

 さてメニュー額の写真を見てもらおう。お昼のメニューは定番の定食の他に、本日のオススメなども数種ある。今回食べたのは“トリの甘酢あんかけ定食¥800”。メインのオカズの他に小鉢がみっつ、さらに漬物と汁物にごはんという構成なのだが、ご飯とおつゆはおかわり自由なのでカポーで訪れて同じものを頼んでも彼氏も満足、彼女も適量という嬉しいサービスになっている。

 余談だが写真でハンガーがかかっている変わった形のフックは“ガイシ”である。木造の家は電気を引く際に漏電の危険を避けるため瀬戸物の絶縁物を介して電線を保持することで直接柱や鴨居にくっつけないようにした。これはそのなごりであるが、時代物なのでかなりゴッツイ。

 よく関東など地方の人は薄味イコール関西風、とおっしゃるが、昨今の関西風はファストフードなどで平均化されたためか味の濃いものが多い。そんな中でこの店の惣菜は昔ながらの薄味、筆者の祖母の味に近い。

 しかし実はこうすると食材の善し悪しがまんまでてしまうので誤魔化しが利かなくなるわけだから、逆に彼ら若き板さんたちの心意気が判ろうと言うものである。

 今回の組み合わせは、高野豆腐の炊いたもの(京都では“たいたん”というがギリシャ神話の巨人族とは関係ない)京野菜の煮物、きらずの炊きものがついた。
 きらずとはおからのこと。ゲン(縁起)かつぎで“カラ(空)”というのは商売上聞こえがよくないし、調理するにも食べるにも切らないで済むからそう呼ぶようになったという。
 メインのトリの甘酢も実に美味かった。鳥肉だけ先に強火でカラッと炒めてあるので皮がパリパリ、肉はふんわりと軟らかく仕上がっていた。なるほど、これが中華鍋を使う理由か。
φ(・_・)メモメモ… これでビールを頼まなければウソである。嬉しいことにこの店のオフィシャルビアはキリン。(筆者はキリン党なのである。)昼間ではあったがこの旨い料理は飲まないともったいない。

 ともあれ、筆者はこれからここを京都における昼食の拠点として愛用するであろう。では、腹もふくれたことなのでいよいよ柳馬場通をぶら旅するとしよう。(つづく)


▼柳馬場通付近の地図はこちらから▼