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てつがくのみち そのに

 ほかのページにも書いているが、筆者が好む紅葉は“真っ赤っか”である。右を見ても左を見ても、上を見ても足元を見ても真っ赤っかというのが望みである。だがこの“真っ赤っか”というのは紅葉で言えば最終段階。まして足元までということはかなりの量の葉が散りまくっている必要がある。

 これが三割程度の散り方では散っているのは枯葉や病葉(わくらば)がほとんどで、当然足元までは赤くなく、逆に七割も散ってしまうと今度は頭上の樹々の方がかなり寂しくなっているのである。つまり五割程度の散り方が理想なのだが、このタイミングが実に難しい。

 紅葉を“錦染め分け”から“真っ赤っか”までと捉えると約ひと月の期間があるが、特定の色彩を求めるとなるとこれは目的地の地理的条件…海抜高度とか山の東西とかで気温や湿度が変わってくるし、その年の気象条件…雨の多少や夏の長さ暑さなどで樹々の染まり方もおのずから違ってくる。

 ベストタイミングは必然的に一週間前後にしぼられてくるわけだが、まあそのへんが肌で季節の移り変わりを感じ取れるジモティと多地方から京都めがけて行く人間の違いである。


 さいわい筆者はおなじ近畿圏の大阪なのでまだなんとか京都の気候や紅葉の具合がある程度肌で感じ取れる距離だが、それでも盆地型気候の京都とは微妙に異なるのでたまに読み違いをしてしまい、一度などはまさに八分まで散ってしまった哀れな晩秋に涙したこともある。またその年は夏がきびしく、樹上に残っていた葉もチリチリに焦げたようなものしかなかった。

 このページは2002年11月22日に撮影した写真を使っているが、この時はやはり平地に近い哲学の道はまだ錦状態、だが道を東へ折れて坂道をやや昇るだけの場所にある法然院やその周辺の樹々は品種の違いもあるかもしれないが、わずかの差でもう“やや真っ赤”である。

 筆者がはじめて哲学の道を訪れたのは高校生だった'79ごろで、その頃はまだ土の道だったので雨が降るとぬかるんで歩くのに難儀したものだったが、市電の廃線とともにその敷石の一部が寄付されて今のように石畳混じりのものとなった。

 それでもまだその頃は紅葉シーズンといえども今ほど観光客もワッショイワッショイとは来ず、それなりに閑静なたたずまいだったが、旅行雑誌や旅行レポート番組のおかげでいまや観光シーズンは行列のための行列みたいな人出でワヤクチャである。(とはいえ、“哲学の道 その一”で紹介したように反対側を通ればどうということはないから面白い)

 筆者が毎度感心するのは、そんな調子なのに年輩の“三脚かまえてじっくり待つぞ型”アマチュアカメラマンはそんな人出もおかまいなしに、でんと構えたまんまでいつまでも景色の中に張り付いている。

 ふっと人混みが切れる一瞬のシャッターチャンスを待っているのだろうが、通行人の邪魔になり、そうまでしてがんばってやっと撮れた写真はどっかで見たような構図の誰でも撮れる写真にしかならへんやろ?と思うのは筆者だけだろうか。
 そこで辛抱のない筆者は誰も見ていない方向にばかりレンズを向ける。奇妙なアングルばかり狙う。まあ、そんな調子なので筆者の撮る風景写真はどんなに有名な場所を撮っても「どこやねん、ここ」みたいな写真ばかりだが。


 右の写真はどれも法然院。イマドキありがたいことに、写真の境内の一部は無料で見せていただける。

 山門をくぐると、法然院のシンボルのようになっている白砂壇(びゃくさだん)という白い盛り砂が参道の左右にしつらえてある。盛り砂にはその間を通ることで心身を清めて浄域に入ることを象徴化するために、水を表わす美しい文様がレリーフ状に描かれている。当然砂なのでしょっちゅう書き直すワケで基本的には水にかかわるものがテーマなようであるが、季節や描く人の趣味によってか訪れるたびに様々な絵柄を見せていただける。

 いわば茶室の掛け軸のような雰囲気かも知れない。
 右上の写真はその白砂壇のそばから広角で撮影したもの。タイムアウトの16時が近いのだが、ごらんのように客が多い。
 昔はこの山門のわきに“旅の思い出日記”みたいなのがあって、イラストなり文章なり、何か書き残したりもしたものだが今は訪れる人が多すぎるためか見かけなくなった。
 できれば早朝かオフシーズンを狙って訪れて、この寺本来のリンとした静けさと落ち着いたたたずまいを堪能して戴きたいものである。

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