さて“鷹峯(たかがみね)”バス停で降りるが、ここにある観光ポイントといってもトップに載せた写真の表示板にあるように三つしかない。しかしシーズンにはびっくりするほどの人が訪れる。
だがもちろん“ぶら旅流”攻略法がある。時間だ。筆者の場合は寺社の限界時間であるぎりぎり、15時あたりを狙う。朝早くという手もあるのだろうが、試したことがないので実行された方はぜひ結果をお教え願えれば幸いである。
鷹ヶ峯は平安の昔、朝廷お掛かりの狩り場だったという。そのため江戸時代まで人が住み着かず、京の街としては新しい部類になる。ではなぜここが開けたかというと、鷹ヶ峯のシンボルとも言える“光悦寺”に名を残す、本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)が徳川家康にこの場所を賜って、ここら一帯に陶芸家や書家などを伴って住み着き、今で言う“芸術村”を開いたことに端を発する。
この光悦という人、もともと本阿弥家が代々名の知れた刀剣の研ぎ師であった関係上、名代の刀剣の鑑定士でもあった。なんといっても刀剣バージョンの千利休というか、彼が折り紙をつけないかぎりどんな名刀も値打ちが出ないと言われるほどだったそうだ。
それほどの名声を得た場合、小人物なら安物でも適当に鑑定するなどして金儲けに走りそうなものだが、こすっからいマネや不正を徹底的に嫌う清廉潔白の士だったことでなおさら彼の鑑定に箔がついたという。
その上書画に陶芸、工芸などにも長じた稀代の芸術家だった。骨董マニアでない限りあまり馴染みがない人物かも知れないが、吉川英治原作の『宮本武蔵』では天下統一なったばかりの江戸で武蔵の芸術家としての一面にインスパイアを与えるというような役柄で登場する。
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