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やせからしゅうがくいん そのいち |
唐突だが、みなさんはガイドブックを鵜呑みにされてはいないだろうか。いや、情報に真偽があるとかの話ではなく、ガイドブックで紹介された事柄を目当てに京都まではるばるとやって来るうちに、いつのまにか目当ての場所だけがそのまま最終目的になってしまってないか、ということである。
その点筆者は欲張りなので情報に対しては「本当にそれだけしかないのか?」と疑ってかかるし、あまのじゃくなので大多数の人と反対の行動を好む。
すぐ隣にもうひとつ古刹なり旧跡なりがあればついでに覗いてみるなんて場合もあるだろうが、ひろい道ひとつ隔てるとか、少し彼方に何かあるみたいだけどガイドブックには特に何とも書かれてなくて、それも方角的にも京都の中心から遠ざかるベクトルにあるとなれば、まず目的の場所だけ観てもと来た道へとUターンするのが普通だろう。実はここが盲点でありぶら旅流の着眼点がある。
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八瀬という場所は、平均的な京都のガイドブックで言えばそれこそずいぶん端っこにおいやられた描き方をされているか、八瀬遊園あたりの部分地図だけがポツリと載っているにすぎないことが多い。
ヘタしたら遙かに離れているにもかかわらず、大原とぶっ込みで紹介されている場合もある。事実、ここらで有名な観光スポットは“八瀬遊園”かこのページのトップ画像の“蓮華寺”くらいだろう。
地図だけで見るとハイキングコースっぽいが、実はあまり広くもない道を自動車がバンバン通るため落ち着かないし危なっかしいので、そういう目的からも外れているのだ。
最寄り駅は叡山電鉄叡山線の三宅八幡駅。ちなみにこの道路こそは若狭街道、すなわち“鯖街道”であり、横を流れる川は高野川つまりこの川を下ればやがて出町柳で賀茂川と出会って鴨川となるのである。
もっとも、筆者が生まれた1960年代ごろまでは、どこまでも田園風景が続くひなびた田舎道といった風情のある里だったようだ。実際、当時の写真を見ると茅葺き、藁葺きの屋根がいくつも写っていて、さながら白川郷のミニチュア版といった雰囲気があるが、残念ながら今では中途半端な住宅地といった雰囲気しかない。
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話は横道にそれるが、筆者は基本的に寺院より神社が好きである。理由は単純、大抵の場合どんなショーモナイ寺でも敷地内へ入るだけでしっかり拝観料を取られるが、神社は拝観料など獲らないからだ。有料な場合でも北野天満宮の梅園みたいな特殊な場所くらいで、神社境内はどこでもフリーパス&フリースルーである。
京都をこよなく愛する筆者だが、あいにく仏像にはまったく興味がないのでハレー彗星並みの露出度しかない秘仏や美術品にはまったく眼中にない。中には多少お高くついても拝んでみたいと思う寺院はあるが興味の対象はせいぜい庭園か建造物くらいだ。
八瀬の蓮華寺はそういった意味で観てみたかった寺のひとつなのだが、いざ行ってみると入り口で坊さんがパイプ椅子に腰掛けて臨時の料金所を開いていた。
上品な口調ではあったが、テキパキと切符を売りさばきながら予め決められた拝観順路とキマリを客に説明する坊さんの姿を見て筆者はイッキに興ざめがしてしまった。
禅宗ででもない限り今の坊さんは妻帯し家業として“僧侶業”を子々孫々まで継がせてゆかねばならない生活臭漂う商売のひとつに過ぎないのは分かっているし、紅葉の観光シーズンだからいわば稼ぎ時の特別出張みたいなものだったのだと思うが、あまりにも坊主が商売っ気むき出しにしてるのは見ていて潔いものではない。
しかも三脚での撮影禁止とかいうならまだしも、横で聞き耳を立てていると他にも小うるさく指示している様子。反射的にこんな寺はごめんだ、と思った。
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実はトップと右上の写真が蓮華寺入り口からの眺めだが、要するにこの位置から観るのならタダである。
結局直後に団体がドドッと到着したので閉口してしまい、入り口から見え隠れする部分だけ観て引き返したので、中に何があってどれほど広いのか、これ以上に美しいのか否かは判らないままだ。ま、そちらは縁があればまたいつか観られるだろうし、人混みにもまれる騒々しい観光スポットは我が“ぶら旅流散策術”にはお呼びでない。
さて、地図(クリックで別ウインドウにて表示)を見ると地図上では高野川に沿って50mほど東隣に崇道(最近のガイドブックでは祟導の文字があてられている)神社がある。〈写真左・写真下〉
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そこに見つけたものは、外からでもはっきりと見て取れる見事な紅葉をたたえたカエデの大木。しかもその前にある瀟洒(しょうしゃ)な門には大きく墨痕淋漓(ぼっこんりんり)としたためられた『境内解放』のウレシイ張り紙が!!
しかしご覧のように、その隣の行に二重丸して『他言無用ノ事』ともある。
寺には違いないが、受付もなにもない。見上げれば見事に色づいたカエデの大木。しかしこの張り紙である。さらには『インターネット上記載ヲ禁ズ』と続く………ということで、これ以上は紹介できない。ちなみに、あまりにその印象が素晴らしいのでどうしても誰かに教えたくて我慢できず、“禁を犯して”数件だけがブログ上で“そこ”を紹介されていたが、寺の名前は読み方もちと難しく、読めても一発変換ができないためにネットで検索しても全然違う土地の同名の寺しかヒットしないから簡単には見つからないはずだ。 |
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とはいえ、筆者も禁を犯したクチになるのでせめて筆者の手ではその名を載せないくらいの最低の義理は守りたいと思う。思うが、せっかくなので張り紙の画像をクリックしていただくと少しだけオマケをご覧いただける趣向にした。まあ、画像にも土台にも検索で探しようのない名前しかついていないからこれもココだけでしか見られないはず。
このサイト、それもこんなウダウダ文章を最後までご覧になったコアな京都を愛する酔狂なお客様だけが上記のヒントをもとにそこを見つけ出せるというわけだ。だからこの記事だけは通例を破ってマピオンのマップへのリンクではなく、手を加えたものにしてある。
正確な場所や名前はお手数だがご自身で探していただきたいし、それだけの手間をかけて見つける値打ちのある超々々穴場である。また、少なくともこのサイトごときをここまでご覧になるような方やそのオトモダチならば、ちゃんとエチケットを守れるオトナだと信じるに足る方々のはずだ。
だから幸いにもそこを見つけられた方は、筆者同様にシアワセな秘密を共有してお口にチャックするということになることをお忘れなく。ちなみに、ここはウン十年のはるかな昔から予約すれば禅料理が戴けることでは知られている寺ということなので、本物の上流階級の方ならば案外フツーにご存じなのだろう。
おそらくそういった方々が本当に落ち着いて食事をするためにも、一般の観光客によって騒がしくなることを嫌ってのことと思われるので、運良くここを見つけられた方も感動はぐっと押さえて、ひたすら静かに楽しんでいただきたい。
結局、筆者もダメモトでエリア外へもう一歩踏み込んだお陰でこの幸運を掴んだわけであるが、これだから“ぶら旅”はやめられないのである。
さて、蓮華寺の前の小さな橋を渡って軽四がやっと一台通れる程度の狭い道を南へ修学院へとたどることにしよう。
〈“その2”へつづく〉
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