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どうもといんしょうびじゅつかん
 実際に行ったのは2008年の春先だが、美術館などというものはオールシーズン楽しめるので、桜も紅葉も関係のない農閑期みたいな今頃にご紹介するのがいいのかもしれない。

 場所は北区、金閣寺の近所でいわゆる『きぬかけの路(みち)』のほぼ中央にあり、ななめ前に立命館大学の正門がある。まわりは見通しが良すぎるほどなので、日射しの強い季節にテクテクと行くにはちょっとキビシいかも知れないが、学校正門前の割にはおちついた雰囲気のたたずまいである。
 ただし、建物のデザインは奇抜この上なく、おちついた…とは言い難い。
 実はこの建物こそがこの美術館のヌシであり、展示物のすべてをこの世に送り出した堂本印象その人のデザインによるものだ。
 白状すると、筆者はこの美術館の名を初めて聞いたのはかなり昔な上に、広告デザインという商売でかれこれ四半世紀もメシを食ってきたにもかかわらず、まったく興味を示さなかったのである。

 いや、ここだけに限らない。
 学生の頃はもちろんのこと、デザインの勉強をするべきだった若い頃はおよそ美術館とか博物館に縁がないというか、ほんとにめったに行ったことがなかった。
 まして『堂本印象(どうもと・いんしょう)』が人物の名前だとも思わなかった。


 筆者愛読の“歩く地図の本”に金閣寺と共に紹介されることが多かったので名前だけはぼんやり記憶していたが、京都という土地柄、“いんしょう”という言葉の音だけから印鑑やそういった古美術の美術館だと勝手に思い込んでいたのだ。(要するに“印章”と勘違いしていた)
 さらに場所柄がよくない。金閣寺のような世界的人気スポットの近所である。人混みはハナっから避けて通るのが“ぶら旅流”であるから、こっち方面に足を向けること自体がありえなかった。

 それがなんで今更行く気になったかというと、ワールドメジャーな金閣寺というよりも、プチ・マイナーで筆者が好きな平野神社から脚を伸ばせばいいということに気づいたからである。


 さて、単純に入館料が500円と安いことだけと好奇心だけで、事前情報を持たないまま訪れたわけだが、敷地内に入ってみると独特の雰囲気にあらためて妙にココロがウキウキしはじめた。
 右の写真は入り口近くにあるベンチだが、どうやら展示物のひとつらしい。筆者は美術の善し悪しなど分らないが、建物といい、このベンチといい、現代アートというよりも学生が卒展でこしらえたようなオブジェのようだ。
 あらためて建物を見ると、窓の格子までが同じような独得のセンスで統一された飾りになっている。
 
 入り口ロビーは美術館のオキマリというか広々とした吹き抜け風に作られていて、四方の壁には大小様々なオブジェが飾られている。
 だが飾られているといっても、建物になされている装飾すべてがオブジェみたいなものなので、「どれが芸術品の展示物でどれが飾りなのか分らへんなあ…」とつぶやくと、「ここにある装飾品はもちろん、内装も外装もすべて堂本印象が考えたものなんですよ」と女性学芸員さんがニコヤカに説明してくださった。
 そして「こちらではすこし普通の美術館と違っていて、置かれている椅子でもすべて実際に腰掛けていただいて構わないんですよ」と続けられた。
 すると、さきほどのベンチも飾りではなかったのだ。
 いただいたパンフによると、もともと自分の作品を展示するために75歳になった堂本印象自身が設計して建てたもので、没後16年め…つまり生誕100周年を機にまるごと京都府に寄付されたのだそうだ。
 兵庫県にも、もともとは個人の邸宅だったものを近代絵画コレクションごと美術館として寄贈された西宮市大谷記念美術館があるが、そちらはあくまで実業家が集めた様々な作者の作品群であるのに対して、堂本印象美術館はまさに堂本印象ひとりの作品のみで構成されている『オレ様美術館』なところがミソである。

 しかもものの本によると、自分で自分の作品のための美術館を建てた人物はそうそういないという話だ。
 だから個人の制作物の美術館ということで当初はサーッと見て、さらにぐるっと見直してもすぐに見終わるだろうとタカをくくっていたが、意外なほど広々とした館内で、しかも3フロアにわたって展示されている点数は膨大で、添えられた説明書きをひとつひとつ読んでいたらいくらでも時間が必要になるほどだった。スケールが違うのである。
 というのも堂本印象、とんでもない何でも屋…まさによろづ芸術家だったのだ。

 建物の外観や階段の手すり、くだんの椅子やら壁に飾られた現代アートのオブジェを見ていると、ふと岡本太郎を思い出した。彼の作品ほど抽象的ではないにせよ、ホアン・ミロとかピカソとか、芸術は爆発だ〜的展開のあーゆー系統の美術品がある中に、けったいな、というと失礼だが、短冊に書かれた俳句だか川柳だかに合わせて描かれた内容の日本画がずらりと並んだ回廊がある。
 この違和感にも驚く。しかもパンフによれば堂本印象という人はもともと西陣織の図案書き…つまりテキスタイルデザイナーから始まって、やがて日本画家として名を成したのだとある。
 だがこの“ゲイジュツ”らしい立体物も彼の作品だという。
 美術館をよくご存じの人なら「いますよ、そーゆー人」で片付くのだろうが、私にしてみればこれは日本料理を極めた人が一方でジャンクフード評論家をしているに等しいギャップである。

 ピカソも晩年は焼き物とかにも手を出していたようだが、さすがに毛筆の書画や水墨画をやったという話は聞いたことがない。
 筆者が訪れた日にやっていたのが『印象のこころ』展で、彼が手がけた巨大な絵の展示だった。これにもたまげた。
 そもそも日本画というのは鉱物や染料をこまかく砕き、それを膠(にかわ)水と呼ばれる展着剤にまぜて画面に塗り重ねるもので、大きくても屏風みたいにせいぜいフスマ程度の大きさに部分的に描くものだというのが筆者の勝手な固定概念だった。

 が、そこにずらりと並んでいたのはタテが3m超、横が5mに及ぶような巨大なスクリーン様のものばかりだったのである。上の写真の黒いソファベンチは美術館にオキマリのあのサイズであるので比較していただくとよくお分かりだろう。いわば電車から見かける、ビルの屋上とかにしつらえられた巨大看板並みの大きさなのだ。
 だから当然、描かれた人物像は実物よりもはるかに巨大で、部屋の真ん中まで下がって鑑賞しても視界の半ばを支配するほどの迫力がある。


 さらに1階にあった小さな展示室には、彼のアイデア帳だったのか、小さなスケッチブックからの作品も展示されていて、それらはあるものは鉛筆で、あるものは一般的な絵の具でラフっぽく描かれ、詳細なタッチや細かな中にも奇想天外なアイデアが盛り込まれたダイナミックさも兼ね備えた楽しいものばかりだった。

 とにかく、カタチに囚われずにやりたいことを片っ端からやってみた人だったようだ。
 いうなれば画家とか芸術家という肩書き的カテゴリーに縛るよりも、純粋にクリエイターと呼ぶべき人である。創作することそのものを楽しんでおられたように見受けられる。
 今も生きておられたらきっとMacを使って、ああでもない、こうでもないとCGやムービーもこしらえられたに違いないと思う。
 失礼を承知で言わせていただくが、直接お話などうかがえたら、相当に愉快なじーさんだったのではないか。


 あとでパンフなどの説明を見てはじめて堂本印象のひととなりを知って行く所などは、まるで学生の社会見学のノリだが、かえって予備知識がなかった分、印象という不思議なクリエイターの作品を通じてコミュニケーションがとれて良かったのではないだろうか、と思える。おかげで驚くことばかりだった。

 3階には東に大きく開口部を設けたサロンがあり、立派なソファも飾りではなく着席して休むことができるようにしてある。さすがに建てられた時代が時代なのでイマドキの足もとから天井まで届くような大型の窓ではないが、その眺めは京都にあってなかなか得られることのできない見事なものだ。
 下の写真はパノラマで一枚に繋いであるが、実際にはぐるりと首を巡らさないとひと目には見られない広大さである。電線やら家々の屋根のごちゃごちゃ感は否めないものの、景観破壊に嘆く今の京都にあって比叡山の霊峰を軸に左大文字と大文字がシンメトリーで見られる場所などそうそうないのではないか。

 この日、筆者は最後までゆったりと見学できた。
 運悪く団体客でもでくわしたら折角の雰囲気もぶちこわしだろうが、立地条件はともかくも、ツウ好みというか、失礼ながらそうそう観光バスのコースに入りそうでもないので、ぜひとも金閣寺の人混みで疲れたらここで印象氏と作品を通じて語らい、心のリフレッシュをされるのもよろしいのではないだろうか。

 京都府立堂本印象美術館公式ホームページ→http://www2.ocn.ne.jp/~domoto/
        

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