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よしみねでら |
毎年、季候が良くなると京都へ行きたくてウズウズするのは、このようなマイナーでマニアックなサイトごときを訪れてくださる奇特な諸氏と同じである。
ちなみに筆者の言うところの“良い季候”とは暑くない時候のことで、暑苦しくないなら何月でも良い。だが、行き先はどうしても毎回考え込んでしまう。
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基本的に観光客でごった返したりしないところ、そして拝観料のかからないところ…となるとほとんどないご時世なのはご存じの通り。
たしかにタダで名物を見ようというのは虫が良すぎるのだが、行く先々で薄いガラス戸越しに切符を買うのを繰り返していると、なんだかまるでジェットコースターや観覧車などの遊戯施設に乗るたびにイチイチお金を払っていた昔の遊園地を巡ってでもいるかのような錯覚を起こしそうになる。 |
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今回は“遊龍(ゆうりゅう)の松”で知られる善峰寺から、狛犬ならぬ狛鹿で知られる大原野神社までの約7kmほどの道のりを北へぶらぶらとたどる。
位置的には南西、いわゆる長岡京方面だが、さらにその外れと言って良いだろう。少々コースはハードめなのと、それなりに見応えもあると思うので分けてお届けする。
もっとも、感謝感激して頼まれるまでもなくこちらから喜んでお伏せをしたくなる素晴らしい寺社もあるのも確かだ。
起点である善峰寺へは、阪急電車『東向日(ひがしむこう)駅』前から善峰寺行きの始発バスに乗る。始発といっても朝9時が最初なので、近畿圏の人間ならもちろん、京都市内に宿をとっておられるならそれほど無茶起きするほどでもない。
あとはバスに乗ったままで善峰寺の駐車場まで楽々連れて行ってくれる。もっとも、この撮影日は12月8日と少々一般的な紅葉シーズンからはズレているので、いわゆる最盛期だと混み合って楽々とは行かないかも知れないので行かれる方は駅事務所へ事前に尋ねられた方が良いかも知れない。
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すでに山の上のことなので散り紅葉気味であるが、まだ朝のひんやりした空気が残る中、バスに同乗した誰しもが行楽に興奮しつつも、人出が少ないので静寂と落ち着きは壊されずにある。
つづれ織りの登り道を何折れか上がると立派な山門の前に出る。
いわゆる西国巡礼の二十番目の札所なのだそうで、一般的な寺社と違い、観光地慣れというか独特のオープンな雰囲気が漂っている。
筆者は単にこの寺の名物である『遊龍の松』の存在しか知らず、目当てもそれだけだったのでまさかこんなに立派な寺だとは考えもしなかった。“フツーの寺の庭にあるでっかい松”程度の認識だったのだ。
境内は広大で、自然の地形をうまく使って塔頭や伽藍が立体的な配置になっているためにぐるっと見て廻るとけっこうな見応えがある。
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お目当ての『遊龍の松』はたしかに巨大だが、龍というよりはまるで生け垣のような姿だった。近くで見ると五葉松(普通の松は葉がV字状だが、五葉松は五本でしかも短いために小品盆栽にしてもスケール感を損なわない)の一種だと判る。だから少し離れてみるとブロッコリー状態であるため、モコモコとしていて“遊ぶ龍”という荒々しいイメージよりは京都を囲む山々の姿の方に似て優しい雰囲気である。
だが、やはりこれは自然の姿ではない。大きさこそマクロ的だが一種の盆栽である。そして無理にこのような姿で仕立てられているためか、どこかバランスがよくない。自重に耐えかねているようなふしもある。
事実基部は大規模に補修がなされた形跡があり、補強とガードを兼ねてブリキのような板で囲んであった。(写真下、上段左)さすがに巨木を支える幹を護るこのブリキの筺はでかい。幅も奥行きもちょっとした大型の事務机なみの大きさである。 |
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この記事を書くために調べたウィキペディア(http://ja.wikipedia.org/wiki/善峰寺)によると、「54mあったが虫害に遭ったため1994年に15mほど切断した」とある。ちなみに手元にある1974年発行の本によれば、その当時で46mあったらしい。だが紹介文によると“北方と西方へ延びていて、北の幹が22m、西の幹が24m…”と記述されてある。
しかし筆者がサイボーグ状になった松の基部をためつすがめつ覗き込んだ限りでは、基部からは一方向にしか延びているように見えなかった。そうした事情からするとどうやら“北の幹”が虫害に遭ったということらしい。それでもこれだけ見事なのである。最盛期は今以上の迫力があったということだ。 |
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文献によるとこの松は樹齢600年。かの“犬公方(いぬくぼう)”で知られる徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院が手植えしたものという。そしてここから少し登った小高い所に、彼女の墓所がある。
かくいう、善峰寺とこのあとご紹介する金蔵寺は創建がたいへん古く、戦国期に荒廃していたものを彼女の指導によって再建したものだそうだ。そのためもあって、境内には立派な資料館が併設され、桂昌院の遺品や息子の綱吉が幼い頃使った遊具なども展示されていて、華やかでドラマチックだった元禄の世をかいま見ることができる。 |
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さらに重要文化財の多宝塔(さきほどのブリキ筺の下の写真)や、立派だが妙にほほえましい“しやわせ”地蔵さんなどもある。
この“しやわせ”地蔵さん、実は反対側から見るとプチ清水寺の舞台みたいに崖っぷちから張り出した構造のお堂にあり、近寄って周りを観るとなかなかスリリングな立地条件の場所に立っておられる。
───というわけで、お地蔵様にこのあとの散策の無事を祈りつつ、最後にもうひと周りして紅葉を堪能してから、善峰寺を後にした。
《西山とっとこハイク その2へつづく》
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▼善峰寺付近の地図はこちらから▼
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