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こんぞうじ
 さて、京都の外れとは言っても西国の札所のこと、着いたときは観光客も筆者と同じバスの乗客くらいだったが、時間が経つにつれてマイカー族や次のバスでの客もやってきて、だんだん賑やかになってきた。
 だがこのあとのコースは本当に誰も来ない。だから女性だけでこのあとのコースを行こうとお考えならば、3人以上で行かれることをオススメする。舗装路だし明るく開けたコースで危険な場所ではないが、なんせ人っ気はないし、無用なトラブルは回避するに越したことはない。
 上の写真は“しやわせ地蔵”さまのお堂から道を左へつづく坂道である。道の先にあるのが北門。
 金属製のごつい一方向回転式の扉があって、一度出ると戻れないようになっているが、付属のインターホンで事務所へお願いすると再び入れるそうである。広すぎてとてもではないが隅々まで目が届きそうにもない境内の安全を守るための工夫だと思うが、いろんな意味でものすごい。

 この善峰寺北門を出ることはすなわち東海自然歩道を経て金蔵寺方面へ行く以外にほとんど目的のない一本道なので、ここを境にして突然のように人の姿が絶える。
 すぐに登り坂が待っているが、善峰寺の釈迦堂への参道と並行しているのでお参りをする人の声だけが竹藪の中から漏れ聞こえてくる。地理関係が理解できていなかったので最初は正直驚いた。
 登りはじめに『三鈷寺(さんこじ)』がある。
 境内からの眺めは最高だとの情報があったが、善峰寺で少々時間を食いすぎたのでパス。いずれ訪れたら追記したいと思う。


 左の写真のようなエグイ坂がしばらく続くのだが、実はここが今回のコースで一番きつく、我慢のしどころである。むしろ、ここで登り切ってしまうとあとは大したことはないと言い切れる。
 大原野神社から善峰寺へ向かう逆向きのコースだとダラダラ坂がえんえんと続き、ソッチの方がかなり辛いことになるところだった。
 ただし、道は舗装されてはいるが秋などは枯葉があり、雨の後などは滑りやすいので靴の選択には気をつけられたい。

 このいまいましい急坂を登り切ると、あとは東海自然歩道をひたすら、ひたすらテクテクと歩く。


 積み重なる大量の落ち葉はほとんどがクヌギやナラのものである。
 ズボラな“夏以外ガーデナー”の筆者にしてみると、超優良な堆肥に見えてくる。舗装路の下はさぞや見事に真っ黒な腐葉土が幾層にも積み重なっているに違いない。
 新緑の芽吹きのフィトンチッドにむせかえる春の山と違って、冬を間近にした山は澄んだ空気の中に少しツンと土の匂いが混じる。かび臭いような、それでいて漢方薬っぽいような。───良質の堆肥の匂いである。
 現代人は松茸だの栗だのの収穫物ばかりをありがたがるが、実はそんなのは二次的なオマケに過ぎず、こういう、時の流れを越えて営々と残されてゆくものこそが本当に豊かな山の幸なのではないか、と思う。

 こうした目的地とコースはいつものように山と渓谷社の『歩く地図の本』から見つけ出すところから始まるのだが、さすがに筆者が求めるような超ローカルなコースとなると最初からハナも引っ掛けて貰えないか、毎年のように買っていても記事にされたり割愛されたりすることがある。
 『歩く地図の本』は小さな案内板はもちろんのこと、目印になるなら朽ちかけの自販機でもしっかりと明記され、筆者のような方向音痴には天の光明といえるほど詳細でありがたいことこの上ない地図ではあるが、さすがに未体験の7kmもの山道を地図と文字情報だけではどうにも心許ない。

 するとダメモトでググっていたら見つけたのが“じゅんたろ”さんのブログ『じゅんたろが行く』である。
 この方は写真と的確なコメントでさながらドキュメンタリータッチで詳細な歩き方を綴られる方で、この人の記事を読む事がなかったら、今回のコースは諦めていた。感謝。

 とにかく誰にも出くわさない。聴こえるのは鳥の声と風にそよぐ樹々の音だけだ。たまに林業の人らしき小型のバンがすれちがうが、心ゆくまで自然の貸し切り状態を味わえる。ひんやりと美味い空気を思い切り吸い込みながら仲の良い友人とおしゃべりに興じながら歩くのが正しい楽しみ方だと思う所以である。
 やがて、集落に出る。杉谷集落という。

 十数軒くらいだろうか。かつては藁葺き、茅葺きの家々だったのだろう。いまはシルエットのみに往事の姿を残して静かにたたずんでいる。
 野良仕事にでも出ておられるのか、やはり道に人ッ気はないものの、集落全体に生活感が感じられるので不安はない。むしろ移動手段が歩くか馬しかなかった大昔の旅人になったようだ。
 当時は宿場以外はどこも野道、山道ばかりだったはずだ。気分は宿場に着いた木枯し紋次郎といったところか。

 そうした“旅人”を見越してか、民家の玄関を開放しての無人販売所があった。今のご時世を考えると道ばたや軒先ではなく玄関先で…という大胆さには驚くが、無防備すぎてかえって悪意も起きないのかも知れない。
 漬けたばかりの白菜の漬け物が旨そうだったのでサラダ代わりに頂く。
 12月とはいえ、汗をかくほどに歩いた身体に適度な塩気が心地良い。イマドキなのかあっさり味で、むしろもう少し塩辛い方がありがたかったのだが…。

 集落を抜けると開けた盆地に出る。標識によると、まだ金蔵寺までの半分も来ていない。だが道のりは先の“じゅんたろ”さんの情報のおかげである程度把握できているので不安はない。こののち、はじめて人とすれ違う。
 いわゆるハイカーだが、我が母と大して変わらない年齢(70代前半)に見える。手には立派な三脚。ひとりでタッタカと善峰寺方面へ歩いて行かれた。

 やがてまた上り坂になるが、もう距離的にも角度的にも無理なく登って行けるレベルだ。ようするに、最初にウントコ登ってしまっているのである。道もいつしか広くなり、たまにマイカー族がすれ違うようになる。それでも数分に一台程度である。ただし、向こうも人なんて通ってないと思っている場合があり、けっこうな速度を出している危険性もあるので接近するエンジン音には用心が必要である。

 ゆったりと上り坂はつづく。すると『逢坂峠』の標識が。さらにゆくとヘアピンカーブというのか、展望の開けたところに出る。ここではじめて、意外なほど高いところまで登ってきた事に驚く。
 ここから金蔵寺まで1.2kmの標識。
 下り道になっているところをさらに歩いてゆくと、途中でまた登りになった道と今までの流れで下った道のフタマタに分かれているところに出くわす。せっかく下ったが、あえて登りを選ぶと、その先から滝の音が聞こえてくる。

『産の滝』とあったが、“うぶのたき”と読むのかどうかが解らない。一応鉄格子でしきってあるので近くにはゆけないが、せせらぎのようなささやかな流れでありながらも場所が場所だけにけっこう神秘的で神々しい。

 あとで調べたところでは、向日(むこう)明神がお生まれになった滝という事で名付けられたというから、たぶんその読み方で合っていると思われる。
 そこからヘアピンカーブを180度折れ曲がって更に登り切ったところに金蔵寺の山門がある。

 先の記事にも書いたように、ここも応仁の乱〜戦国期に荒廃していたのを桂昌院が再建した寺であり、立地的にも端も端に位置するものの、境内は清潔でよく手入れされている。
 石段などはさすがに傷みが激しいものの、建物の状態は最近修復されたようで比較的新しい。しかし実は1029年開山と言われる善峰寺よりもさらに300年も古い718年の開山なので、784年〜794年の長岡京よりもまだはるかに古いことになる。

 京の都市構造は風水に基づいて要所要所に呪術的な抑えとして寺を配置しているという話を聞く。風水の事はよくは知らないが、長岡京に平安京をあてはめてみると、金蔵寺や大原野神社、勝持寺はちょうど平安京の神護寺や高山寺とよく似た座標上にある。やはり何か意味があるのだろうか。

 京都府がしつらえた説明看板によれば、応仁の乱で焼けて荒れてしまう前は堂塔伽藍四十九院の大寺院だった、とあるから神護寺といい勝負…いや、それ以上?いずれにせよ、のちにたった10年で平安京へ遷都した時にも桓武天皇によってここ金蔵寺は王城鎮護のための経文を収められて西の抑えとされたというから、霊的な重要拠点には違いないようだ。

 それはともかく、境内には参拝客はおろか住職の姿もなかった。だがしっかりとお守りや土産物の窓口もあり、参道には守っている人の立派な家らしきものもあったので、必要な時には出勤してこられるのだろう。
 そもそも、入山の時も『志納二百円ご協力…』と賽銭箱が置かれていたし、お守りそのものもキャッシュ・オン・セルフサービスである。
 むしろここまで徹底していると気持ちいい。かえってちゃんと払って入山したくなるというものだ。
 もっとも、訪れたのは12月8日とフツーで考えたらオフシーズンも出遅れること甚だしいのだが、格式の高い寺社なので神事や祭りはかなり盛大なようで、その折々のほか、いわゆるシーズン最盛期にはけっこう観光客で賑わうようである。

 詳しい説明は忘れたが、ここのお守りはフクロウがモチーフらしい。フクロウは夜中じゅう見張っているという事から家内安全火の用心みたいに家や家族を守るという意味があるという。さらに上には奥の院のようなものがあるらしく、屋根付きの鳥居があった。ここも古いスタイルが残っていて、神仏混淆ということなのだろう。

 他にも桂昌院の遺髪を納めたという小さなお堂などが点在しているらしいが、時間的・体力的なこともあり、次回の楽しみに置いといて金蔵寺をあとにした。

 降りる道はふた通りあって、次に向かう方角へ直線に伸びるが朽ちかけた石段がずーっと続く自然歩道と、さきほど上がって来た道をそのまま引き返して元の舗装されたコースへ戻る方法がある。
 すでに結構脚に来つつあった筆者は用心のため引き返す方を選択した。
 いわゆる“つづれ折り”状態の道なのでかなり遠回りにはなるが、てくてくと歩く分には苦にならないなだらかな下り坂である。

 選択の結果は数百メートル進んだ後に判明した。これが自然歩道を選択した場合の出口だ。見るからに薄暗く足場が悪そうである。
 ちなみに08年秋発行の『歩く地図の本09』にも『すごい急坂』とあるのはこちらの自然歩道の事である。
 藪の中から道が現れるという事は、先の道を進んでいたら途中で道が藪に呑み込まれていたという事だ。体調フル充電状態ならともかくも、すでにかなりスタミナを消費した後でさらにまだ道のりが残っていることを考えるとこんな無理はしない方が正解である。
 バスもなく、人も滅多に通らず、試してはいないが、タクシーを呼ぼうにも果たして携帯が通じたかどうか?

 くわばら、くわばら。やはり『急がば、廻れ』は正しい。

 今回は京都と言うよりはハイキングガイドのようになってしまったが、商業を重んじる傾向が強いために時として自然に宿る神々や仏への畏怖や信仰を忘れがちな近畿圏において、京都だからこそいまも残っている自然だと思うが如何だろうか。

 《西山とっとこハイク その3へつづく》 


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