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ふしみいなりのたのしみかた そのいち
 京都が“観光都市”という性格上、季節感とは切っても切れない関係にあるが、数あるスポットの中には、一年のうちいつ行こうとも大差ないというか季節に左右されない場所がある。
 09年の正月一番に出しておいてこう書くのも何だが、そのひとつがこの伏見稲荷だと思う。
 むろん筆者のように暑い季節には冷房ごもりして家から一歩も出ない輩にとっては、たとえそこが夏向きのスポットと言えども無意味なのだが。

 オフシーズンでのネタ展開にもってこいなので、このコンテンツを始めた頃から記事にしようと目論んではいたのだが、不思議なもので、足を向けないとなるとトコトンそっちのエリアにはかすりもしなくなる。───そうして8年の月日が過ぎてしまった。

 さて、左はテレビや旅行雑誌でもおなじみの風景である。
 ずらりと並ぶ無数の鳥居がいにしえのSF番組『タイムトンネル』のような不思議な空間を作り出していて、そしてこんな調子で稲荷山を被っている…とまあ、ガイドブックに書かれているものの、真偽を確かめるべくぐるっと巡ってみた人はそれほどおられないのではないか。

 筆者も正直言うと半世紀に近い人生でもここには数えるほどしか訪れていず、どちらかというと興味の対象は伏見稲荷参道名物の『ウズラの焼鳥』と『鯖寿司』であったし、しかも山に至っては途中の茶店までしか知らない。
 実際、筆者のバイブルである『歩く地図の本』と出会うまでは、お世辞にも詳細とは言えない地元製の“観光地図”をアテにするしかなかったが、ミミズののたくったような道に申し訳程度の社の名前、しかも距離はもちろん坂道の程度さえ判らないのでは、いくら日本のお稲荷さんの総元締で世界的観光地であろうとも、山まるごと神社なんて神域の奥深くへなど、軽い気持ちでは踏み込む気にはなれなかった(今はともかく当時はそんなだった)。

 というわけで方向音痴にとって救いの聖典がある今、永年の好奇心を満たすべくウズラも鯖寿司にも目もくれることなくひたすら稲荷山の上を目指した。

 ピーク時を知らないので言い切ることはできないが、初詣などの“かきいれどき”以外ならばこの石段に行列ができるほどの事はなさそうである。(オフシーズンに書いた記事をオンシーズンにアップしておいて何なのだが。)
 参考までに、訪れた時間帯は昼前である。

 本殿、拝殿で気持ちを引き締めて世界に名だたるワンダーゾーンに突入。
 ───といっても、大小の差こそあれ大体おんなじ調子で鳥居が続くだけなので、なにか目的が無ければ言い方は悪いが“飽きてしまう”のである。これまでの筆者がそうであった。

 だが今回はちと違う。地図(クリックで今回のルート地図を別ページで開きます→■■■)でじっくり観てみると、ずっとループ式ルートだと思い込んでいた稲荷山を巡るコースは、その北端が東福寺に繋がっているらしい事を発見。どんな所かは判らないが、『京都一周トレイルコース』の中に入っているからには、人が歩いても構わないちゃんとした道があるという事だ。


 そんなわけで最終目標はお山の踏破(そんな大層なものではない)なのでメジャーな拝殿あたりは省略。ただせっかくなので、ぶら旅流の好奇心で稲荷山そのものを興味の対象としてきょろきょろしてみる。振り返るとまず目につくのが、それぞれ裏側(本殿を背にして登る場合)に記されたその鳥居の寄贈者の名と日付である。
 意外な事に平成のものがほとんど。つまり古くても20年も経っていないということになる。全山で二万本ともいわれる鳥居が、たったそれだけのあいだに“総入れ替え”していたとは驚きだった。
 では古いものはどうなっているかと言うと、木製のことゆえ朽ちているのである。もちろん完全に腐って倒れるまで放置するわけではなく、適宜塗り替えなどもされているようだ。
 期限つきかというとまれに昭和のものもあったので、朽ち方の様子を観て“御役目を終えた”と判断して撤去入れ替えしているのかもしれない。

 ずっと進んで行くと句切りにでもなっているかのように石の鳥居にも出会う。

 さすがに朽ちることのない石鳥居は古い。なぜか昭和を飛ばして大正のものだ。年号を見て行くと大正十年製が数本もある。
 日付の他に寄贈者の住所も書かれていて関東のものもある。勝手な想像だが大震災の鎮魂と復興を願ったものではないだろうか。
 すべての鳥居を見たわけではないだろうから断言できないが、明治の日付があったのはふたつ、昭和に至ってはひとつしか確認できなかった。

 それにしても伏見稲荷の“新陳代謝”の早さは意外だった。
 そんな中、新しい鳥居にペンキを塗っておられた職人さんを何度か見かける。しばらく見せていただいていると、何度か全体を朱色に塗り重ねたあとで、最後の仕上げとして彫られた寄贈者の名に墨を入れるようだ。
 今は朱一色に塗りつぶされているが、できたての鳥居の刻印にはまだ鋭さが残る。
 しかし当然と言えば当然なのかも知れないが、ペンキというのも意外な気がした。

 他の場所では新品ばかりではなく、禿げかけた鳥居の塗り直しもされていた。下世話な話だが、値段なども尋ねてみたいものだ。


 《伏見稲荷の楽しみ方:その二へつづく→■■■》   ■ぶら旅トップページへ
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