『かじゅうじ』と読む。さまざまな文献やガイドブックごとに他の読み方も記されているが、当のお寺が“こう読みます”と提示されているので以下、それに倣う。
山科という土地は、地図で見れば屈指の観光地がひしめく東山の山ひとつ挟んだだけにもかかわらず、地下鉄東西線が開通するまではぐるりと東山を迂回せねばならず、クルマを持たない筆者にはかなり行きづらい場所だった。
実際、初めて訪れた時はまだ景気の良かった事もあって五條からタクシーを使ったのだが、今は京阪山科線と相互乗り入れしている地下鉄東西線が京阪山科から分岐しグイと南へ折れてくれるコースを採るので、山科全体を楽に移動できる。移動内容によっては『スルッとKANSAI』のプリペイドカードを利用されるとお得になる可能性が高い。
公式サイトによると近畿以外の方は旅行代理店に申し込む必要があるらしいが、近畿の人間でもアクティブな人には使いごたえがあるので『NaviTime』あたりの料金案内と併せて調べてみる価値がある。
そんなわけで昔なら京阪を使って宇治方面から北向きにアプローチしていた六地蔵などへも直接繋がって大変便利になったので、以前から気になっていた『勧修寺(かじゅうじ)』を目指す。
出掛けたのは11月23日。関東圏にお住まいの方にしてみれば晩秋に当たるが、冬の遅い近畿では丁度良い頃合いがこの頃なのである。
筆者が京都のバイブルにしている古い本に『京に寺は多いが、参道の立派さでは、この寺の右に出る寺はあるまい』とあったのがここ。
1974年に刊行された本に記された写真では砂利道で松並木だったのだが、35年の月日の間にアスファルトに変わり、松が少しになって楓と桜に変わっていた。筆者にはそれなりに美しく感じられたが、『気品と威厳に満ちた数十歩、これこそ真の参道というものだろう』と紹介された著者がご覧になったら相当嘆かれたに違いないが、京の街こそは生々流転。
その時代、その時代でその時代なりの美しさを見せて行くのだろう。
しかし、入り口でノスタルジックに浸っていては始まらないので、早々に中に入るとしよう。
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