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かもがわのさくら
 桜は日本人の心だという。私はつい先頃までそれを認めてはいたが解ってはいなかった。
 一般的には、はじめて小学校に上がったときの入学式での桜がどうだったとか、幼いときの想い出があるはずらしいのだが、あいにくと私は桜にまつわる想い出が全くなかった。花見すら未だにやったことがないのである。

 花、ことに植物は祖母の影響で大好きである。うちには私の誕生を記念して植えたという楊貴妃という品種名の八重桜まである。逆にそのせいで一重の桜が見劣りするものだと勝手に決めて掛かっていたのかも知れない。考えれば実にもったいないことをしてきたものだが、その美しさに気がついた以上あとは死ぬまで桜を毎年愛でることにしよう。


加茂大橋から北を望む。筆者が好きな出町柳を起点にすると、まず眼に飛び込むのはこの景色である。ちなみにこれは賀茂川ではなく、高野川。こちらはまた来年(2008年春)にご紹介する予定。

彼方に見えるのは葵橋。見える限りの彼方まで桜並木が続く。期待に胸が膨らむ瞬間である。

 鴨川(かもがわ)は京都の中央を南北Yの字型に流れるシンボルである。ちなみに、Yの字の股の部分のすぐ東に川端通りを挟んで京阪電車の始発駅である出町柳(でまちやなぎ)駅があり、鞍馬・貴船へのびる叡山電鉄に連絡しているのだが、このYの右、つまり東へさかのぼると高野川(たかのがわ)と名を変え、左、すなわち西へさかのぼると賀茂川と字を変える。
 いにしえは読みの音さえ間違っていなければよかったのか、全国規模で同じ土地にあって読みは同じでも字が違う地名の例がある。また逆に同じ文字で読みが違う場合もある。浅間を“あさま”と“せんげん”と読み、秋芳(しゅうほう)洞と秋吉(あきよし)台もいにしえは同じ文字だったと考えられる。
 閑話休題。
 ここにご紹介するのは“賀茂川”つまり出町柳から府立植物園のある北山までの約2.5kmのコースである。いまはJR・近鉄京都駅から京都市営地下鉄で楽々と植物園まで直通でゆけるし賛否両論あろうが、筆者のは出町柳から北へさかのぼる方をすすめる。出町から北大路橋あたりまでは普通の桜をたのしみ、北大路から北山大橋までは濃いピンクの枝垂れ桜を楽しむ。
 というのは、枝垂れ桜は一般の桜に比べて開花時期が遅いからだ。

 だから出町柳で下車し、加茂大橋から北を見て充分に桜が開花していなければ桜はあきらめて他を観光すればいい。京都の桜は賀茂川だけではないのである。運良くもし丁度見頃だと思ったら河原へ降りてゆっくりと散策すればいい。そして北大路橋までやってきてさらに北を眺め、濃いピンクの雲が河原に懸かっていたらおのが幸運に頬を染めつつさらに足を伸ばせ ばよいのである。
 しかしこの枝垂れ桜はいま“樹のお医者さん”たちによって再生の施術中である。樹そのものが年を取ったということもあるが、公害など様々な要因で地力が落ちてしまって生命力そのものが弱ってきているのだそうだ。詳しくは現場にある立て札に書いてあるから必ず一読されたい。桜はけっして人に見てもらうために咲くのではない。人は桜に花を見せてもらっているのである。これも環境問題を考えるイイ機会である。

▲北山大橋と北大路大橋の中間ほどにある飛び石は子供ばかりでなく大人にも人気がある。ここではきちんとした“譲り合い精神”なしでは絶対に行き交うことができない。
▲北山大橋ちかく、しだれ桜並木もおわりにちかいあたりの土手。いいお天気に気持ちよくなって寝っころがると、こんなに美しいご褒美を貰った。
▲いつ訪れてもやさしげなせせらぎを聞かせてくれる賀茂川。しかしそれは常に河原を美しく保とうとする努力があってこそ。

これほどの美しさをもった川でさえ、よく目を凝らすと時折こころない人の手で棄てられた空き缶やタバコの箱などを目にすることがある。

“本当の悪人とは悪気がなくて悪いことをしている人のことだ”という解釈は正しいと思う。
本人のエチケット云々を問う前に、そもそもモラルそのものを持ち合わせていない人間を育ててしまった親に責任があるし、そうした人物に対して親に代わって“叱ってやる”優しさを持ち合わせたい。

子供たちが遊んでいた。はじめは男の子二人に女の子ひとりのドリカム編成で三人仲良くだったが、ひとりがやんちゃをしはじめると、彼に愛想を尽かせたあとの二人はいいムードのカポーになり“賀茂川土手”の恋人たちになってしまった。う〜ん、ドラマである。
桜ならではの咲き方の妙味は、観客に対して覆いかぶさるようにアピールしてくることだろう。
色そのものはけぶるような薄色だけに、曇り空ではどうしようもないが、反対に青空をバックにするとこれほど映える花はない。

 京都が四季折々に美しいのは周知のことだが、周知のこと故にシーズンには全国から観光客が集まる。とくに桜と紅葉の季節はかなりのものだ。とはいえ、リーチの長い紅葉と違って桜は前後を入れてもピークは10日ほどしかないから、時間に自由が利く人でない限りそうそう遠くからはやってはこれない。
 ましてひと月くらい前から狙いすまして休みを取ったとしても、予定した日に桜がうまく開いてくれるとは限らない。さらに、マスコミが吹聴する“開花情報”は秋の“紅葉情報”とおなじくらいアテにならない。あらかじめ決められた放送予定にあわせなければならない関係上からか、実際には勇み足だったとしても何とかして「いま真っ盛りです」という具合に番組を持っていかなければならないみたいで、すわ、シーズン到来かと現場に来てみると、撮影されたのはたった一本の桜だったり、咲いていてもまばらにしか過ぎなかったりするのである。
これをご覧の諸兄も経験があるのではないだろうか。

 賀茂川は市民の憩いの場でもある。ジョギングやお年寄りの散歩はもちろん、私が知る限りでも狂言師の方が発声練習をされていたり、ナマの和笛の調べすら流れていたこともある。

 花見客もいるにはいるが、興ざめな焼き肉のにおいで迷惑にならないようにちゃんと風の流れにも気を使い、カラオケなど無粋なことはされていない。川と同じで人も移動し、流れていてよどまないのがいいのだろう。その点、桜は見事ではあるが花見宴会のビニールシートで足の踏み場もない円山公園の桜とは趣がずいぶん違う。
 小さな土地にしがみつく日本人のセコさと、土地に縛られない遊牧民族の悠然さの対比のようである。

 ちなみに筆者は飽き性なので一本の桜では満足できない。だから500mlの空きペットボトルにお気に入りの日本酒を入れて、見渡す限り続く桜を一本一本愛でつつ、そぞろあるきしながらちびちびと飲むのが好きである。これだと一日に数百本の桜が見られるし、場所をひとりじめにしないので人様の邪魔にもならない。さらには歩きながら飲んでいるので足に来るほど酔うこともない。なかなか風流で粋な妙案だと思われないか?


 このコースにはさらにオマケがある。さらに徹底的に桜に酔いたいなら
府立植物園にも足を運ばれたい。ただし、北山大橋からは北山通りを東へさらに400mばかり歩かないと入口が見えてこない。
 しかしそれだけの甲斐が府立植物園にはある。

▼賀茂川付近の詳細地図はこちらから▼