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しじょうどおりおうだん そのさん
 かなり迂回することになったが、四條通りへと戻る。真北に戻ってみると、すでに太秦(うずまさ)まで来ていることに驚く。ここからはフツーの街の風景が続く。
 京都外国語大学、自動車教習所、上品でお洒落なお店の数々。通りの幅も松尾の頃に比べるとかなり広く感じる。
 ふと気づくと西院(さいいん)である。さすがに人も多いし、いかにも賑やかな繁華街の風情を感じる。

 太秦、西院と聞くと映画村界隈というのが一般的だが、筆者はその前をひた走る京都最後の路面電車である、京福電鉄嵐山線、通称“らんでん”がボン、と浮かぶ。
 車輌こそイマドキのものなのでエアコンも完備のものだが、走る地域によっては人の家の玄関先をスレスレにかすめるようなコースをよぎってゆくキワキワ感がたまらなく愛しい。ちなみに下の画像の右にある店の看板を見ると逆像かと思ってしまうが、わざとのようである。理由はいずれ尋ねに行ってみたいと思っている。

 筆者に言わせれば太秦名物はこの平面交差と嵐電の存在感である。やはり京都には路面電車が似合う。
 ドイツのカールスルーエを見習って洛中まるごとにトランジットモール(一般車両進入禁止エリア)を採用すれば、日本随一の観光都市であると同時に、京都が日本の伝統を担う第一等の文化都市であることを世界中があらためて見直すに違いないのだが。
 30年前、みすみす巨大な観光産業の可能性を棄ててまで自動車中心の道路に変えたが、ここにきて自動車文化も時代遅れになろうとしている。京都に無粋な娯楽用の自家用車は似合わない。
 かつて日本で最初に電灯を点し、市電を走らせた日本一先進的でハイカラな文化都市、京都。
 時代に敏感な京都ならではの華麗なる大変身に期待しているのは筆者だけではないはずだ。

 上に映っている駅は京福電鉄“西院(さい)”駅。おなじ西院と書いて阪急では“さいいん”、京福電鉄では“さい”と発音するところで余所から来た人間は首をかしげる。“さい”の方が古くからの呼び名らしい、とWikipediaにも説明があるが、筆者が祖母から聞かされたのはやはり“さい”という呼び名だった。
 やがて京福電鉄は専用軌道に入り、道のほうは新撰組で知られた壬生(みぶ)を経て四条大宮にたどり着く。ココまで来ると、ふたたび『歩く地図の本』のエリアに入る。見えないが、さきの西院(さいいん)駅から足下の地下には四條通りに沿って阪急電車が走っている。

 阪急電車におけるこの地下線の開通は1931年、昭和5年で東京の都営地下鉄銀座線についで二番目の地下鉄道で、7年開通の大阪地下鉄御堂筋線より古いのであるが、ものの本に因れば、現在と同じく京都という街はどこを掘っても遺跡だらけなので大変な難工事だったという。
 ちなみにこの地下線(といっても今回の記事に写真はないが)土木遺産に登録されているのだそうだ。

 四条大宮はさきの京福電鉄嵐山線の終点であり、同時に鷹ヶ峯方面へのバスの起点にもなる。
 真北に1.5kmほど上がれば二条城、南へ500mほど下がれば友禅美術館がある。こちらもいずれ訪れてみたい。以前阪急電車はこの四条大宮に特急を止めていたのだが、数年前のダイヤ改正で隣の烏丸に停車駅を移してしまったため、少々乗り換えが不便になってしまったことが残念である。


 大宮駅を越えて少し東へ行くと『須磨屋』さんという、和菓子屋というか、おかきなど乾き物系のお店を見つけた。“ウナギの寝床”と呼ばれる町屋形式が多い京都の店としては珍しく通りに対して横長で、道に面した広い窓からよく見える店内に整然と並べられた商品が、そのまま巨大なディスプレイと化している見事さには感心した。
 これは通りがかる人に対して実に効果的であるし、できそうでなかなかできない工夫だ。
 外に無防備に置かれた『紅葉あられ』『紅葉せんべい』につられて店内へ。
 ウインドウレイアウトだけでなく、扱っている商品もなかなかヒネリが効いていて、ひと癖もフタクセもある面白いものが多い。乾き物の専門店かと思いきや、オーガニック系の保存食品も揃っている。価格も手ごろな設定でありがたい。
 同行していた母はすっかり気に入ってなんやかやと買い込んでいたので、こちらも店の方にお願いして写真を撮らせて頂いた。
 『須磨屋』さんのホームページによると“一味違う京珍味の店”とあった。なるほど、と納得のカテゴライズである。
 楽しい寄り道がたたってすっかり日が暮れてきた。京都のウォール街、烏丸(からすま)である。銀行や証券会社ばかりのこの界隈、以前から人通りの少ない休日の昼間にしか通ったことしかないし、面白くもなんともないところだと思っていたが、日暮れになって灯りが点ると街はがらりと表情を変え、美しい夜景のオブジェとして主張しはじめる。

 烏丸大通りを北へ100m上がると錦小路。ここも祖母などは“にしこうじ”と呼んでいた。錦小路は別ページでも書いているが、次ページでは夜陰の迫る市場を別な角度から紹介してみる。ゴールである八坂さんまで、あとすこしだ。


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