上に映っている駅は京福電鉄“西院(さい)”駅。おなじ西院と書いて阪急では“さいいん”、京福電鉄では“さい”と発音するところで余所から来た人間は首をかしげる。“さい”の方が古くからの呼び名らしい、とWikipediaにも説明があるが、筆者が祖母から聞かされたのはやはり“さい”という呼び名だった。
やがて京福電鉄は専用軌道に入り、道のほうは新撰組で知られた壬生(みぶ)を経て四条大宮にたどり着く。ココまで来ると、ふたたび『歩く地図の本』のエリアに入る。見えないが、さきの西院(さいいん)駅から足下の地下には四條通りに沿って阪急電車が走っている。
阪急電車におけるこの地下線の開通は1931年、昭和5年で東京の都営地下鉄銀座線についで二番目の地下鉄道で、7年開通の大阪地下鉄御堂筋線より古いのであるが、ものの本に因れば、現在と同じく京都という街はどこを掘っても遺跡だらけなので大変な難工事だったという。
ちなみにこの地下線(といっても今回の記事に写真はないが)土木遺産に登録されているのだそうだ。
四条大宮はさきの京福電鉄嵐山線の終点であり、同時に鷹ヶ峯方面へのバスの起点にもなる。
真北に1.5kmほど上がれば二条城、南へ500mほど下がれば友禅美術館がある。こちらもいずれ訪れてみたい。以前阪急電車はこの四条大宮に特急を止めていたのだが、数年前のダイヤ改正で隣の烏丸に停車駅を移してしまったため、少々乗り換えが不便になってしまったことが残念である。