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とくに目的があったわけではない。しいていえば、初秋のハイキングがしたかっただけだ。
だが、日頃の疲れがたまっていたのか、せっかく長岡京をうろつこうと考えたのだから、ついでに…と細かな地図やヒトサマの体験談下調べもなしに、気軽に徒歩で行こうと考えたのがいけなかったのか。
地図上で片道わずか5kmほどの道のりがひどく遠く感じた。
地図で見れば、『長岡天満宮』『乙訓寺』『光明寺』…長岡京めぐりの主なスポットは、この山あいに建つ『楊谷寺』を除けば、みなわりと阪急沿線に近いあたりに分散している。
これを“西山”にまで拡大解釈してしまえば、別ページに設けてある『善峰寺』や『大原野神社』などというロングコースも入ってしまう。
行政割の上でも、大阪と京都の二府にまたがってしまう、意外に広いエリアなのである。
だが、“長岡京”に限定してしまうなら、うまく廻れば案外、一日でほとんどを見て廻れるのではないか、と考えた。時間的に無理そうなら、バスを使うなり、また適当にあきらめて最寄りの駅から帰ればいい───。筆者はいつもそんなノリで京都観光のプランを組み立ててきた。
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で、長岡京の玄関口とも言える『長岡天満宮』のあとは、エリア内スポットとしては最も遠い『楊谷寺』を攻め、クリア後には余った時間で、他の“駅近く”スポットを順に塗りつぶすように訪ねればよいだろう、と、たかをくくった。
だが、閑静な住宅地を抜け、国道をてくてく歩き、空き農地の見事なコスモス畑にはかなり感動したとはいえ、歩いても歩いても、街道らしき道に出ても、まったくそれらしき雰囲気の道にさえ出ない。
ようやく山道にさしかかったと思ったら、今度はそればかり。
美しく紅葉した落葉樹があるでなし、ひなびた田園風景があるでなし、庭先を飾る花々の可愛い民家があるでなし。おまけに何の変化もない。これだけつまらない道もひさびさである。本当に、ただの“道路”だ。
風景としてもつまらなく、侘び寂を強調しようにもイロケもシャシャリもない。写真の材料としても、あまりにもつまらなく絵にならないので、フィルム&現像代不要のデジカメといえども、この間は一切シャッターを切っていない。
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しかも、ダラダラ坂がえんえんと続くという、いたずらにしんどい道のり。退屈さがさらに疲れに拍車を掛ける。これでたまにでも見晴らしよく開けた場所があるとかなら、まだ救いもあるのだろうが。───そうしてやっと、それらしき所にたどり着いたのだが、これまた、イマイチ「ああ、ここだここだ、やっと着いた」という実感がともなわない不思議なところだった。
というのも、6、70基はあるだろうか。ずらりと並ぶ、わりと真新しいめな灯篭の列。寺の参道なのだから灯篭があるのは当たり前なんだろうが、しかしいうなれば飛行場の滑走路にある誘導灯みたいなものだと考えた場合、その進行方向には肝心の山寺がない。
どこにも見えないのに、灯篭だけが違和感をあたりに振りまきながら、えんえんと街道の彼方へと続いている。
まあ、のんべんだらりとした山道ばかりずっと見せられた後としてなら、写真のネタとして多少は面白いかしら、と撮ってはみたが、こんな程度である。
だが、うっかりこれに気を取られていると行きすぎてしまうところだった。
お目当ての『楊谷寺』は、このまるで灯篭の大行進とは、道の反対側から直角方向に延びている横道の先にあったのだ。
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実はこの『楊谷寺』を知ったのは、保育社1974年刊行のカラーブックス『京都散策5:西山の道』の記事からだった。この本はもしかしたら今も本屋に売っているのかもしれないが、もしも内容が変わってなかったとしたら、あまりにも古すぎて、いくら歴史の都に関するガイドブックとはいえ、さすがに古文書みたいなもんで、年配の方が想い出にふけるとか、または筆者のようにこうしたエッセーでも描いて資料にしていない限り、役に立つ情報とは思えない。
載っている写真を見ると、静かな街道の果てるところに石段があって、その先に山寺が…というたたずまいに見える。なんとも風情のある雰囲気が、以前から気になっていたのだ。
ここに写っている子どもたちが、ちょうど筆者と同年代なのである。ただ事でない古本である。
あいにく著作権の関係もあるので画像加工したものを見ていただくしかないのだが、そうまでしてここに載せるのには理由がある。
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寺の山門の周りだけを見ているとどうということはないが、ぐーっとカメラを引いて改めて街道を含めた全体像を観ると、一度掘り下げた様な、というか、何とも不思議なアングルの写真になる。
カラーブックスの写真と比較したからいけなかったのかも知れない。広い、いや、やたら広く感じるのだ。
本の写真と同じアングルで狙おうとした時、妙な違和感があった。
しばらく考えて気づいた。
昔の写真にはしっかりと写っていた、参道左側の大きな木造二階建て家屋がないのだ。
これを見比べて欲しいという意図もあったのだ。
茶屋なのか、もしかしたら旅館みたいなものか、参拝客を相手にしていたに違いない、と思われる風情ある建物が消えた跡には、立派な石垣と、おそらくは中庭と思われる位置に遺された立派な楓。その幹には、どうやら焦げたらしき痕跡。
残念ながらこの邪推を確認する事はできなかったが、根掘り葉掘り訊いたところでせんない事だ。
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歴史の都といえども、洛中では、ビルや家が建ち並んだり、古い建物がパッと消えることで景観がガラリと変わる事などしょっちゅうだが、おそらくここは本が刊行された当時に訪れていたとしても、ハテナ、と首をかしげたかも知れない。
筆者が本の写真から思い描いていた予想とはずいぶん趣の違う立地条件の寺だったのである。石畳などが真新しくて風情も何もない、というのも手伝ってはいるだろうが、それとは違う要因での違和感である。
文字だけではちと説明が難しい。左の写真が、さきの灯篭行列を背にして道を渡った状態だ。なだらかな坂に続いて石段で下へ降りるようになっている。やたらと新しい。
そこから始まる石畳の参道のずっと先でまた石段で昇り、その先に、いかにも山寺然とした佇まいの立派な山門が建っているのである。
いわば街道と、山寺の間に広い窪地があって、そこを参道で繋いでその左右に土産物屋らしき民家が数軒並んでいる、という構造なのだ。
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よくよく本と見比べてみると、上の写真右奥にふたつある石灯籠は、昔は右手縦方向に並んでいたようだ。しかも上は修理したようだが、土台は古そうに見える。またトリミングで切れてはいるが、今黄色いコンテナのあったあたりに植え込みもあるので、もしかしたら右側にも大きな建物があった可能性がある。きっと何かあったのだろうなあ。
このページのタイトルカットにも使っているが、明治風のモダンなランプを掲げた石の鳥居をくぐって石段を上がると本殿。右へゆくと奥の院、左が『独鈷水(とっこすい、と書いて、おこうずい、とふりがながある)』の染み出す岩があり、それを基にして、お社にしてある。
弘法大師が加持祈祷した眼病に霊験あらたかな水、との事だった。
しかしこう書くとバチが当たるかも知れないが、先客にまじって並んでいるうちに “お賽銭(心付け)” を入れる三方を見たら、なんとなくばからしくなったので、結局撮影だけして踵を返した。
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宮本武蔵の『独行道』ではないが、筆者は神も仏も尊ぶし、むしろ結構恐れもする。
しかし、お守りやお札など、ある程度手間を掛けてあるならともかく、自然に湧いている水で賽銭取って商売にしてられるとどうにもアマノジャクな心がムクムクと湧いてくる。
施設の維持費を理由にするとしたら、最初から拝観料を取っているのだから込みにすればいい事だ。
さらに失礼を重ねるが、ここはどこか滑稽だ。鐘を撞くのにもカネよこせ、とある。今はどこの寺もこんな具合なのだろうか。
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それはともかく、せっかく必死の思いでここまできたので、ついでに奥の院とやらも目指してみる事にする。
小さい裏山だが、急な石段が山を包み込むようにしてしつらえてあり、立体的で凝った配置がなかなか面白い。しかもご覧のように眼も愉しませてくれる。
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掲げてある絵馬は大正二年の年号が刻まれており、古く傷んでいる。
とはいえ、ここで古そうなのはこれくらいではなかろうか。石段や宮の建物など、ここも部分・部分が新しく作り直してある。鳥居もピカピカだ。妙な話だが、まるでお宮さんのリニューアル新装開店状態なのだ。
どうも神様と骨董品は古いほどよさげに見えるモノらしい。
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途中に『眼力大明神』という神様が祀ってある。こちらは眼の健康祈願ではなく、先見の明とか洞察力を授けてくれるという神様という説明だったので、こちらはシッカリお参りしておく事にした。こういう所ではドケチな筆者でも、ちゃんと賽銭を入れる。
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賽銭は今でこそ“先払い”してお願いするのが当たり前だが、戦国の昔、武将は祈願が叶って初めて何か寄進する、いやむしろ、叶わなかった場合はダメ神様ということで、さっさと宮を打ち壊す事もあったという、かなりシビアな契約関係に近かったらしい。
もっとも、祈願の内容はたいていの場合、戦勝であり、叶わない場合は生きて帰れないのだから当然だったのだろう。
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結局、眼力大明神の美しさのおかげで随分満足したので、次へ向かう事にした。
上の写真は山門から見下ろした構図。これなら街道との位置相関関係がお分かりなのではないだろうか。例の、失われたふたつの“お屋敷跡”もその広さがよく判る。
直後、突然の雨に見舞われたが、運良く市が運営している無料巡回バスが来たので、それでイッキに長岡天神駅方面まで戻る事ができた。雨の中、あの退屈な街道を歩いて戻っていたら、ヘトヘトなままで駅に直行した事だろう。
《その参》へつづく。
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