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 11月21日のこの日、最後に訪れたのは光明寺。
 しかし、光明寺がどういう縁起や由来かどころか、寺の見どころさえも知らないままに訪れた。理由は、特撮やSFコミックが好きな人なら「ははあ。」とピンと来る、という程度のものだ。

 他の頁をご覧戴いてる方にはよぉくお分かりだと思うが、筆者は自分のイメージに合った風情を味わいたくて京都をぶらついているにすぎない。なので、寺社の格式などは最初から読もうともしないし、親切な人からいくら聞かされてもちんぷんかんぷん、そこに安置されている仏様や神様の由来も美術芸術的価値も皆目、理解できていない朴念仁である。

 ただ単に、ああ、綺麗やな、神々しいな、どんな思いを込めて造ったんかな…そんな工芸的なレベルでしか見る事がないし、できない。京都に恋して30余年、またこのコンテンツを作り始めて10年。いちおうの努力もしたしフリもしたがやはり無理だったので、正直に白状する次第だ。


 まあ美術なんてのは花と同じで、名前や育て方など知らなくても、美しいものは美しいと感じれば心地よいだろうから、それで充分だと思っている。
 そんな調子なので、本当はなんとなく名前が女性的で綺麗だな、と思ってた『乙訓寺(おとくにでら)』などもまわってみたかったのだが、なにせ楊谷寺への道のりに時間がかかりすぎた。帰りはバスだったとはいえ、それでも到着した所から一番近い光明寺までも結構時間があって、たどりついた時はお寺公開のタイムリミット16時ぎりぎり。

 それでもまだまだ入山する人がおられたので、くじけずに行った。
 今回は楊谷寺、光明寺と、めずらしくふたつも入館料の必要な寺に入った。筆者にしてみれば大盤振る舞いである。
 それはともかく、京都の人気スポットを悠々と観光するコツとして、このギリギリタイムがそのひとつに挙げられる。
 金閣寺や清水寺みたいに、のべつ人の往来が切れないような、よほどの超有名スポットとか、夕刻スタートの何らかのイベントがあるのでもない限り、この黄昏時あたりなら、京都らしい落ち着いた時空間にゆったりと身を任す事が出来るからだ。

 ぶっちゃけて言えば、この時間帯にこういう所にまだいる人たちというのは、宵口には四條河原町や祇園あたりで腰を据えて飲み食いする目論見も、遅くなる前にさっさと電車に乗って帰るつもりのない人たちなので、気分的にゆ〜ったりと構えていて、雰囲気もどこか落ち着いている。


 光線そのものに黄色や赤の成分が多いので、肉視はもちろん、写真を撮る場合でも “秋らしい” 色合いが出しやすく都合もいい。

 陰影もそうだ。当たり前だが、夕方は暗い。なので基本的には三脚をブッ立てて撮影するわけだが、手ブレ防止機能の充実で昔なら考えられないシャッタースピードでの手持ち撮影も可能になった。
 ただでさえ生い茂る樹々のおかげで薄暗い所へ持ってきて、さらに夕方である。そんな環境でもっとも明るい光源はというと、夕陽そのものしかない。ということで必然的に逆光気味の構図が多くなるのである。

 この逆光というやつは実に便利で、ヘタ横を自称する人でもそれなりに雰囲気のある写真が簡単に撮れるのだ。つまり、ハイコントラストとシルエットで余計な部分が潰れたりぶっ飛んだりする事でスッキリした絵ヅラになる、という魔法が使えるようになる。
 このページのタイトル写真が良い例だ。

 プロはどう言うか責任もてないが、もし露出などが調整できるカメラだったら、個人的には少し暗め(アンダー)気味に撮ると雰囲気が出しやすいと思っている。

 長い長い石畳がつづく。ギリギリタイムでなければおそらく大勢の人でごった返していたのではないだろうか。
 筆者が入館した時も、複数の団体客を含めてかなりの人々がゾロゾロと出ていった。

 楊谷寺は山の上だったのに比べて、平地の光明寺はまだまだ早めの色づきではあるが、それでも散り急いだ葉がおちこちに舞い落ちている。

 これの撮影日、北の方であれば、とっくに冬支度になってるはずの11月21日だが、年々益々温暖化して冬が遅くなり、近畿においても、ここ十年ではそろそろ年の瀬の声を聴きそうな頃になってさえ、平地ではそれほど“真っ赤っか”な紅葉にはならないのが現状だ。
 いいとこ、やっと“錦”になるかどうかというレベルだ。これが2009年。はたして、この年よりも厳しい夏が続いて、秋の到来も遅れると言われている2010年、クリスマスまでに美しい色づきを無事に見せてくれるかどうかも怪しいのではないか。
 おなじく猛暑と水不足が叫ばれた数年前の秋は、色づく前に葉がすっかり茶色くチリチリと枯れ上がってしまってひどいものだった。

 それはともかく、観光客の多少に関わらず、たいていの場合、たいていの場所は夕方に訪れると、格段によい雰囲気で迎えてくれる。


 今はデジタル時代なので、色目など後でなんとでもなりそうなものだが、光と影という無敵のコンビだけは、実際にその場・その時間・その条件でないと、美しくはなってくれない。いや、そもそもそんな状態の風景では、まず感動しないのでシャッターを切る事もない。
 だが、条件さえ揃えば、どうということのない構図であっても、それっぽい演出がなされて上手い写真に見える。
 反対に、美しさに感動し、いつか再び訪れたいと願っていた場所を、後年、昼間に訪れてずいぶんがっかりしたこともある。人の感性や記憶というのはいい加減というか、どうしても主観に左右されてしまうものらしいが、それだけ“黄昏マジック”は強力ということなのだろう。

 さて、肝心のお寺の話がお留守になっていた。
 経営がうまくいって儲かってるんやろなあ、と書くと語弊があるが、交換して10年とは経ってないように見受けられるしっかりした石畳、ほとんど風雨による劣化のない木肌、槌の音もかまびすしい新築中の社殿、金ピカの灯篭、とにかく真新しい所の多い寺である。

 なかでもこれには度肝を抜かれた。駅や百貨店にあるのと同じクラスのエスカレーターである。

 順路に従って回廊をゆくとこれに出くわす。のぼり専用とあるし参拝者も多いとはいえ、さすがにこのような施設が寺の中にあるのは初めてだった。足の弱った高齢者ばかりになり、そのうちリフトかライドか何かになって、座ったままで寺の敷地内観光スポットをまるごと巡れるようになる時代が来るのかも知れない。
 しかし、40代なかばにヒザを傷めて歩行すら不自由になった事のある経験から言わせていただけば、階段は昇るより降りる方が絶対に足に負担が掛かるし怖いので、一種の覚悟が必要なのである。
 実際、左の写真にはたまたま下りようとしてる小母さんが写っているが、手すりにつかまり、“さて、よっこらしょ”が背中からでも見て取れる。
 あくまで、無いよりはマシなのかもしれないが。

 小ぎれいでハデハデな部分に眉をひそめた偏見的立場で記事を描いてしまったが、本来、寺やその本堂の存在は、民衆に極楽浄土を立体的に具現化してみせる為の展示会場なので、その模範である極楽浄土は極彩色で光に溢れたものである。だから日光の陽明門のような派手派手な状態こそがデフォルトなのだ、好きではないが。

 だがやはり寺社といえば、まず古びた侘び寂の色合いを想像するし、実際のところ、桜、新緑、青空、紅葉、雪と、いずれの季節でもその方が絵ヅラ的にも絶対美しいコントラストを作る事を知っている。

 いにしえの時代では、自然に見られる色だけが生活や世界の中の『色』であって、床の間に絵のある結構な家でも、たいていモノクロの水墨画か、水彩画であってもせいぜい淡泊な色合いだ。食や衣類では、たまに紅や黄や紺などのビビッドな色に出逢う事があったとしても、基本的生活ではあくまで単色や渋めの色がせいぜいで、現代のように、どこの家でもポスターや雑誌やテレビがあるのとはワケが違う。
 そもそも人工的な光はロウソクか短檠(たんけい)しかなかった。金ピカの装飾は光の象徴、今で言うイルミネーションだったのではないだろうか。
 実際の生活でそれらの極彩色や光源にいちどきにお目に掛かる事など滅多になかったと思うので、色が氾濫する仏教美術はさぞや異質な存在だった事だろう。

 反対に、現代の我々の生活には色が氾濫している。
 だから反作用として、古びた物の醸し出したモノトーンのもつ、侘び寂び感が懐かしくも感じ、また眼にも心にも珍しいのではないかと愚考する。

 ところでこの庭は、左側にさきのエスカレーター横の階段を下りたところにある。見ようとすると立ち止まるか、足もとが危ない。さりとて下りる事に集中していると、変わった視点からの眺めはあきらめる事になる。しつこいようだが、やはり何か間違ってはいないだろうか。

 入り口近くでは、いわゆる門前町の茶店が数軒、軒を連ねており、終業時間も過ぎていたはずだがよく流行っていた。
 売っているものは昔ながらの手作りの駄菓子や甘酒といったたぐいだが、きらず(関東で言う “おから”)を原料にした自然な甘みを売りにしたクッキーや、黒豆を使ったスナック菓子ふうのものなど、現代風にヘルシー志向にアレンジしたものもよく売れていた。
 
 紅葉は本番までまだといった風情ではあったが、さすがに陽が傾くと風が吹き、冷え込みが始まる。
 これ幸い…とフトモモ二気筒エンジンをフル回転にしてゴールの阪急・西向日(にしむこう)駅までの約2kmを、たったと早足で歩いて帰った。

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