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 絵はがきのような風景、とはよく言ったもので、文字通り、作ったような綺麗さがある───じっさい、長い年月を懸けてこういう風景を実際に作ってきた、それが三尾である。平安の昔から、貴族達がこぞって訪れては風情を楽しんだ。
 土木技術が発展してからは、自然の風景を損なわないように注意を払いながら、人間が生み出した造形美を加えた。自然と共にあったというよりは、自然を楽しむために工夫を重ねて練り上げられた、環境取り込み型のテーマパークなのである。

 そして千年の刻を経ても、人はやはり同じ場所に風情と憩いを求めてやってくる。なんとも人間とは可愛いものではないか。


 ところで。筆者は桜餅と共に、草餅が大の好物である。
 どんな出先でも、草餅を見つけると一個でも求めて食べてみないと気が済まない。───といって、甘党ではない。むしろアンコは胸焼けがするので苦手である。

 だが草餅だけは“別腹”らしい。できれば粒あんが良い。漉し餡はどうもくちあたりが頼りなくてよろしくない。
 なによりも、豆の中で一番旨い部分である、皮を棄ててしまっている。関東圏では漉し餡を好むらしいが、そのカントウ人がこよなく愛する蕎麦は、外側の皮を多く含む田舎蕎麦の方が旨いと主張するではないか。

 閑話休題。いわゆる土産物屋で売られている、個装され行儀良く箱詰めにされた菓子類も悪くはないが、やはり工場で作られたものよりも、こうしたいかにもその店の人が朝早くから起きだして仕込み、またはリアルタイムでこしらえているものが嬉しい。
 なによりも草、つまりよもぎの餅は正直で、香りも腰も作られてからどれ位の時間が経っているかは、ひとくち食べればまるで優秀な検察官が死亡推定時間を言い当てるように、その鮮度が分かるものなのである。
 もちろん、この店のよもぎ餅は素晴らしく、たちどころに三個たいらげた事をつけ加えておく。しかしやはり直後には、“しぶぅいお茶が一杯、こわい”ものだ。


 同様に、こうしたその土地ならではの工芸品も大好きだ。というわけで、前の『栂尾編』でもご紹介したように、三尾といえば北山杉。
 写真は『中川木材工藝』の店内。まだ強いフィトンチッドの香る、杉や伐採灌木を使った素朴な品物が店内に驚くほどの安い値段で並ぶ。変に手を加えていないので、工夫次第でマテリアルとしても、いろんな事に使えそうだ。
 筆者も箸置きなどを数点求めたが、同じものはひとつとしてないのも魅力である。

 その隣に『護法善神』というお宮さんがあった。美しいカエデに惹かれて石段を上がると、なかなかいい感じ…だったのだが、こじんまりした境内では、中年夫婦がお弁当を拡げて「あ〜ん」の真っ最中。
 おかげで写真も撮れずに早々に退散した次第。

 なみいるガイドブックで見ると、清滝川(きよたきがわ)に連なるようにして高山寺、西明寺、神護寺の三つの有名処ばかりがクローズアップされているが、実際にゆったりウロウロと歩いてみると、立ち並ぶ民家の風情も相まって、もっともっといろんな魅力に溢れている事がわかる。
 京都屈指の観光地である前に、ここは人々の暮らす街でもあるのだ。

 いわゆる茶屋やみやげ物店以外にも、一般のお家の方が出されている露店もあったりして楽しい。ここでは炒りたての銀杏と栗を求めた。むちむち、ほくほく。これぞ秋の味覚である。ちなみに写真に赤いネットに入って売っているのはムカゴ。ご存じない方のために申し上げると、要するに山芋の王様、ジネンジョの地上の蔓にできた、コブ状の球根のようなものなのだが、見た目はメタリックブラウン、大きいものではオトナの親指ほどの大きさのものまである。
 それが袋一杯につめて売られているわけだ。
 これを塩適宜入れて炊き込みご飯にする。皮をむく必要はない。薄い皮に香りと滋味が、芋部分に甘みとうま味があるのだ。そして信じられないくらい手軽に、香ばしく味わい深い、ホクホクな秋の味覚のできあがりである。
 筆者に言わせれば、松茸ご飯など、ムカゴご飯に比べたらネームバリューだけの香料飯に過ぎない。

 さて、さきのお宮さんで中年夫婦が弁当を食べていたように、昼もすこし廻って腹も空いた。フト見ると民家の間を石段が上の方まで続いている。見れば、石段の間に生える草はまるで天然の盆景のように美しいではないか。
 どうやら長らく誰も通っていないらしいので、尻で潰さないよう、草の少ない部分を選んで腰掛け、母がこしらえた握り飯をほおばった。
 あえて上の方に腰を下ろした事もあり、眼下を歩いて行くほとんどの旅行客は誰も気づかない。まるで仙人が下界の喧騒を長め楽しんでいるかのような気分を味わえた。

 誰かのためにこしらえた美しい石段は、誰も通らずにいつしか、自由に植物が繁茂するロックガーデンになっていたわけだ。誰も気づかない小さな庭は、偏屈な筆者だけが気づいて、握り飯をゆっくりかみしめつつ、こっそり愛でる。
 なんとも不思議な時間と空気が流れてゆく。

 ところで、かく申す筆者は極めつけのイラチである。イラチだからこそ、他人がセカセカと美しいものをろくに楽しみもせずに歩き去るのを見ると、呼び止めてでも「立ち止まってもっとゆっくり見ていけ」と言いたくなる。
 花の季節でもそうだが、複数の観光客はたいてい、おしゃべりに夢中で景色など何も見ていない。もちろん、それはそれでその人達の楽しみ方なので、部外者がとやかくいうことではない。
 しかし、静かに花や紅葉を愛でようとしている時に、そばで下品な笑い声や愚にもつかない低レベルな冗談を吠えるような大声でがなられてご覧なさい。騒音公害以外の何者でもない。
 過激な発言をお許しいただけるなら、“ぶっ◯して”あげたくなりますわな。そこまでいかなくても、「用事がないなら帰れ!」くらいは許されるだろう。

 それはともかく。
 どうやら三尾は黄色系が多いようで、筆者の好む“赤、紅、緋、で押し包まれるような世界”ではないが、それでも見事に美しい秋色である。そうしてぼちぼちと歩き進んでくると、いつしか栂尾から槙尾(まきのお)へと呼び名が変わっていることに気づく。

 写真上左は、槙尾の観光スポット『西明寺(さいみょうじ)』と、そこへと続く指月橋(しげつきょう)の入り口から撮っている。ちらりと見えている舞台風の建物は指月亭という食事処だそうだ。

 その指月橋を渡れば入山となり、奥の方へゆけば西明寺の拝観受付がある。
 ところが、ふだんは拝観こそ有料、入山は無料なのだそうだが、紅葉シーズンにはまとめて有料、山へ入りたければカネ払え、という事でカチンと来て、入り口あたりでさんざん写真を撮り、もぉこれで充分と西明寺さえ入らずに廻れ右をした筆者なので、食事処がどういう所かは不明である。どうか検索で裕福な方のレポートを参考にされたい。

   《その参》へつづく。

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