いわゆる茶屋やみやげ物店以外にも、一般のお家の方が出されている露店もあったりして楽しい。ここでは炒りたての銀杏と栗を求めた。むちむち、ほくほく。これぞ秋の味覚である。ちなみに写真に赤いネットに入って売っているのはムカゴ。ご存じない方のために申し上げると、要するに山芋の王様、ジネンジョの地上の蔓にできた、コブ状の球根のようなものなのだが、見た目はメタリックブラウン、大きいものではオトナの親指ほどの大きさのものまである。
それが袋一杯につめて売られているわけだ。
これを塩適宜入れて炊き込みご飯にする。皮をむく必要はない。薄い皮に香りと滋味が、芋部分に甘みとうま味があるのだ。そして信じられないくらい手軽に、香ばしく味わい深い、ホクホクな秋の味覚のできあがりである。
筆者に言わせれば、松茸ご飯など、ムカゴご飯に比べたらネームバリューだけの香料飯に過ぎない。
さて、さきのお宮さんで中年夫婦が弁当を食べていたように、昼もすこし廻って腹も空いた。フト見ると民家の間を石段が上の方まで続いている。見れば、石段の間に生える草はまるで天然の盆景のように美しいではないか。
どうやら長らく誰も通っていないらしいので、尻で潰さないよう、草の少ない部分を選んで腰掛け、母がこしらえた握り飯をほおばった。
あえて上の方に腰を下ろした事もあり、眼下を歩いて行くほとんどの旅行客は誰も気づかない。まるで仙人が下界の喧騒を長め楽しんでいるかのような気分を味わえた。
誰かのためにこしらえた美しい石段は、誰も通らずにいつしか、自由に植物が繁茂するロックガーデンになっていたわけだ。誰も気づかない小さな庭は、偏屈な筆者だけが気づいて、握り飯をゆっくりかみしめつつ、こっそり愛でる。
なんとも不思議な時間と空気が流れてゆく。