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じつは以前書いた『洛北橋付近』の記事のおかげで昨年2010年暮れに地元の方と不思議なご縁で知り合い、メールで教えていただいたのだが、通称『松ヶ崎疏水』の正式名称は水道局的には?『第2疏水分線』というらしい。
どの季節に訪れてもゴミ一つ落ちていないのだが、もちろんそれは地元の人々の手で護られており、頻繁に行われるゴミ拾いは言うに及ばず、疏水のメンテナンスに関する様々なことは、何から何まで地域住民の皆さんの手でされておられるのだそうだ。
おかげで水や水路そのものが綺麗であるだけでなく、日本水仙やオランダミズガラシ…つまりクレソンなど、植物たちの宝庫でもある。
いうなれば“手つかずの自然”ではなく、“手塩に掛けた自然”なのである。
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ところで一枚目をご覧戴いたように、ここには左右から迫るが如き緑滴る疏水があり、その上に瑞雲のごとき目出度さで覆い被さる桜並木という構図が多いため、必然的に縦アングルが続くのだが、できるだけ雰囲気を味わっていただきたいので、縦アングルでもあえてノートリミングで画像を掲載してみた。
以前、松ヶ崎疏水という名称が判らずに『洛北橋付近』として紹介記事を書いた頃は、まだWebとかサイトではなく全部ひっくるめて“ホームページ”と呼ばれた時代であり、通信も繋いだままのブロードバンドではなく、通信モデムによって携帯電話でいうところの“従量制課金制度”でご覧の方がほとんどだった。
300pixel四方で軽い画像で枚数も1ページに3枚でも「重い」と言われた時代である。
いわばその時のリベンジとしても、今回は鑑賞に堪える大きさでご紹介したいので、スクロールデフォルトでの閲覧になるところは何卒ご容赦願いたい。
で、さっそくだがまずノートリミング縦アングル左右730ピクセルで一枚。
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これはもう、一種の回遊式庭園と呼んでもいいのではないか。
撮影ポイントになっているのは、ところどころに架けられた橋である。
この画面でも奥の方に孔雀色の送水パイプと共に写り込んでいるのがそれだが、なにせ桜の枝が左右から手を差し伸べてでもいるかのような密度で枝が張っているために、見事な桜色の瑞雲が出来上がるという寸法だ。
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しかも橋の上に立つと、桜はご覧のように目の高さになる。
これを撮影したのは2010年の4月4日の16時頃。初めて訪れた『洛北橋付近』の時の日にちまでは判らないが、その時は満開時をやや過ぎていたために、むしろ水路は散った花びらでうめつくされ、春風が吹くたびに花吹雪が舞うという夢のような光景になったことが忘れられない。
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面白いのは、橋を渡りきって道側へ出るとこのような普通の住宅地の光景が続いていることだ。
このために筆者のように“なんでもかんでも覗き見してやろう”的な好奇心がないと、疏水には気づかずに通り過ぎてしまう可能性は高いと思われる。
もちろんそれでも居並ぶ桜の迫力には思わず引き込まれてしまうだろうが。
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ふたたび疏水の方へ戻って、傾きかけた陽の光の演出を楽しんでみる。
この日、インクラインへたどり着く前の午前中は曇っていたために花の色が冴えなかったが、午後はずっと青空に適度な雲が浮いていてくれたお蔭で思うような光を得られた。
およそ桜ほど、青空でなければ映えない樹はない。
一般的な園芸植物の撮影ノウハウのひとつに、“曇り空の日に撮れ”そうでなければ身体やモノで半日陰をつくれ…とあるが、桜で曇り空などは最悪である。花数輪だけを撮るならともかく、枝や樹全体を
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今回観ていただいたように、これだけ花を付ける桜ではあるが、ソメイヨシノなどはめったなことでは結実しない。おなじ桜でもいわゆるサクランボとして実を付ける数種とはえらい違いである。
しかし園芸品種というものは、基本的に突然変異した個体をどこかで見つけてくるか、さもなくば異なる性質の個体同士を人工交配させて新たな遺伝子の組合せをもった別の個体を生み出すしかない。
したがって、園芸品種のたいていのものはタネから生まれていなければならないが、そういう意味では桜ほど“いったいどうやって新品種を作ったのか”不思議な樹木はないのではないか。
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そして最後に疏水はふたたび地下へ潜り、北大路通に出る。また200mほどの間が桜の“真空地帯”になるが、さらに道なりにゆくとついに賀茂川に達する。疏水はその後、今度は鴨川の水と交わるべく、賀茂川へと注ぐことになる。
筆者はここから川端通または下へ降りて散歩コースになっている舗装路を歩いて、いつもの出町柳のゴールを目指す。
だが、賀茂川に出るなり、その見慣れている筈の桜の光景に筆者ははじめて違和感を憶えた。
《桜渡り:その七へつづく》
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