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『鮎の宿』で知られる『平野屋』まで降りてくると、もう“嵯峨野”と呼んでいいだろう。
 もう誰もが知っているメジャーゾーンではあるが、栂尾からトットコトットコ、はるばると歩いてきてたどり着いた懐かしい風景は、ことさら美しく感じた。
 しかも『長岡京めぐり』で描いたように、黄昏時の写真は、まさに“誰が撮っても上手に見える”黄昏時である。せっかくなので、誰もが知っていて多くの人が記事にしているであろう超メジャーな『嵯峨野』ではあるが、風情のある写真をご紹介しながら、ウダ話を聞いていただこう。

 時間はもう17時まえ。三尾から『愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)』を経由して歩いてくると、上の写真の右奥の道から降りてくることになる。
 河原町や祇園などの繁華街や、ライトアップとか野外ライブとか、何か夜向きのイベントでもやっているならばともかくも、陽が落ちるどころか、暮れなずんでくる気配を待たずして、文字通り“潮が引いたように”観光客がさぁっと居なくなるのが京都のほとんどの観光スポットである。

 その京都で、この時間帯に外にいる人はお店を経営している人か、その町内の住民しか居ない。
 不案内な場所なら不安になるのだろうが、私は人一倍方向音痴のクセに、京都の町で誰か人が外にいる限りは、いざとなれば訊ねればなんとでもなる、という妙な自信があるので、むしろ安心して美しい暮色のなかに身を置いて、昼間よりもシャッターを切りまくるのである。

『上七軒』の記事もそうだが、京都の町の日暮れ時のなんともいえない美しさといったら、ない。

 上七軒を撮ってた頃は、銀塩(アナログ)時代の、手ブレ防止などの魔法が使えないものだったので、三脚なしではスローシャッターが切れなかったために行動が限られたが、今使っているデジタル一眼はいろんな魔法が使えるので、かなり手持ちでもうまく撮れる事が多い。


 上の写真も、ISO800で1/30くらいだったと思う。もちろん手持ち撮影だから、大伸ばしすればブレが目立つ眠い写真だが、このくらいでの鑑賞ならなんの問題もない。上の絵はいずれも、平野屋のまわりで見つけた光景であるが、おそらく明るい間はどうということのないもので、カタチの面白さから、多少は「おや」と思うかも知れないが、きっとシャッターは切らないだろう。
 それが行燈に灯が入る、というだけでこれほどに風情のある情景になるのだ。

 ぽつり、と人知れず咲く、秋明菊。ご覧のように、あたりには嘘のようにひと気がない。データによれば、撮影時間は16:47と記録されている。もちろん、観光シーズンのまっただ中、それも土曜日だ。きっと昼間は行き交う人でいっぱいだったにちがいない。
 それがこの時間にはこんな具合なのだ。いくら中心部を外れているとはいえ、宵の口でこれほど誰もいないとは驚きである。とても大都市、それも観光を売りにする街とは思えない静かな様子ではないか。
 もちろん、通過待ちなどしていない。そんなことをしてたらアッという間に陽が落ちてしまったことだろう。

 ツワブキ咲き乱れ、“奥嵯峨”の石碑の建つ小さな箱庭は、秋明菊の写真と共にこの日一番気に入ったカットとなった。今は誰かの洒落心で小さな招き猫が鎮座しているが、これにも以前は障子紙が貼られ、ロウソクか短檠(たんけい)の灯火が入っていたのだろう。きっとその光景も美しかったに違いない。
 しかし、これはこれでいい。ユーモラスな人形の存在感が、この灯篭の灯火になっているのだ。

 ひとつ驚いたのは右上の陸橋。垂れ下がったツタが紅葉しているおかげで、古式を遺す奥嵯峨に似つかわしくない不思議な構図でありながらひとつの情緒を与えている。じつはこれが嵐山パークウェイの一部なのだが、昔訪れた時にはまったく気づかなかった。

 100mほど下がると、『化野(あだしの)念仏寺』があり、このあたりからずっと道なりに南へ下ってゆくほどに、さまざまな土産物屋や民芸品の店が並ぶ。むかし訪れた時に比べれば、石畳をはじめとしてずいぶん小ぎれいに整備されている感がある。
 それはそうだろう、嵐山・嵯峨野と言えば、おそらく京都中で1、2を争う観光客でひしめく人気スポット、さらにそのうろうろと巡り巡る散策路がここらあたりなのである。このように、筆者が訪れた時のようなひと気のいない状態がよほど珍しいわけで、筆者が知る限り、昼間はとにかく人、人、人でごったがえす。
 それぞれのお店も、品定めをする客がひっきりなしである。団体客が立ち寄った時などは、群がる人でいったい何の店なのかも判らないほどだ。まして、こんなふうに離れたところから綺麗に店の全体像を撮すことなど、まず不可能だ。

 人の数は少ないとはいえ、だからといって早仕舞いなどしないのか、どのお店もそれぞれに決めた時間までちゃんとお店を開けておられるらしい。おかげでこの街は商店街にありがちな、あの“周りじゅうがバラバラと無作為に閉まっていって、自分だけが取り残される”寂寞感にさいなまれることはなかった。
 まあ、まさかいくら客がいないからといって夕方の4時半に店じまいはなかろう、とは思うのだが、筆者の経験では、
土地によってはそれが当たり前の場合も、ままあるのである。

 17時を境に、ようやく人々が店の仕舞い支度を始めだしたようだ。どこかソワソワ、
 ぶらぶらと歩いていると、懐かしい店が今も健在であることを知った。中段左の『京らく焼』とあるお店だ。いわゆる“楽焼”のお店で、筆者がまだ20代中盤の頃に、そのとき付き合っていた女の子と立ち寄った店である。午前中、散策の始めの頃にこちらで絵付けをしておき、半日嵯峨野をうろうろとして楽しんだ帰りがけにゆけば、絵付けした焼き物が受け取れる、というシステムである。
 その時に作った、ぐい呑みふたつは稚拙な絵ながらも、今も筆者のお気に入りだ。

 さらに歩くこと約15分。ついに、というか、やっとというか。京福電鉄嵐山(らんざん)線の嵐山駅にたどり着く。昔は同じ敷地内にレディースホテルを備え、それでいてひなびた、おとなしい雰囲気を持つ味わい深い駅だったが、2002年に終業、5年もの時間を掛けて2007年に今のような姿でリニューアル・オープンした。
 当世流行の“足湯”だの、バラエティに富んだ食事店だのを備え、かなり思い切った大改装を行い、大成功を収めているのだ。

 さらに、さらに歩くこと、200mで阪急嵐山の駅にたどり着く。そしてここが今日のゴールだ。三尾・栂尾バス停への到着が11:15。ここ嵐山が18:8。ほぼ、7時間の見応えのある行程だった。

 ごったがえしはしていなかったものの、さすがに阪急嵐山駅は、そこそこに人が多かった。

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